一人旅行中の誤謬
机の引き出しを開けるときは、中に異空間が広がっていることを期待し、そうでなくても二重底になっていて、その下にノートが入っていれば、なんて思う。
その先を見てはいない。
ただ特別を夢見ているのだ。
宇宙人の来日。
丸みを帯びた折れ線グラフ。
牛と鶏と豚肉炒め。
やりたいけどできないことがたくさんあったから山ができたし、やりたくてできたことがあったから谷ができた。山あり谷ありって事実の羅列?
いつもと違う奇跡と出会いたくて、一人旅行を決行した。住宅街を抜けてしばらく歩くと林が見えてくる。森ではなく林。ジャングルではなく林。
無数の木が私を見下ろす。木登りできる年齢ではないことが口惜しかった。こうやって年齢を言い訳にはしたくなかったのに。
木々に囲まれていたから、囲碁だったら私は盤上から退場するとこだった。でも、元々木があったところに私が入ってきたから退場にはならないか?
囲碁のルールを正確には把握していないのにこんな話を持ち出して、協会に怒られてしまえ私。
木を見て森を見ないときに林は見てるのか。正解は多分見てない。正解を言った後でなんだけど、それぞれの答えが正解だし、他の人と自分の考えをシェアしても面白いかもね。
林を抜けると針山がそびえ立っていた。
裁縫道具の方ではない。
針山の本体は目測3メートル。その上に無数の針が並んでおり、全体では4メートルもの高さになる。足がすくんでしまう。せめて棒高跳び用の棒があれば。私の日頃の行いが悪いからか願いは叶わなかった。
赤い帽子がトレードマークのゲームの中の男の子は針を踏むと1機失うが、私は1機しかないから無茶はできない。
違うな。嘘をついてしまった。日頃の行いがどんどん悪くなる。
私は2機あってもこの針山に挑戦しない。
こんな私は臆病だろうか。
ここで1つ歌でも詠おう。
勇敢な あの子の背中 見えにくっ 針山越しに 気づく恋心
近々、連歌が流行るらしいと聞いたが誤情報か。
誤情報と出てきたついでに話したいのだが、最近、"誤謬"という言葉を覚えた。"誤謬"という言葉を発音すると、"ビュー"が風みたいで心地よい。けのびしたときの感覚と似ている。
それならレビューやデビューではダメですか、という質問が真面目な人から投げられそうだ。
いい質問だ。と言う気はない。
これは感覚の話だから、この質問をしている人に、答えを提示しても理解が得られないと思うのだ。そうやってどうせ誰にも分かってもらえないって諦めるんですか、という詰問が昔何かあった人から投げられそうだ。
ごめんなさい。説明する。
レビューもデビューも最初の文字からカタカナだから、"ビュー"が後に来る心構えができているのだ。正確に語ると、カタカナで構成された単語の途中で"―"がいつ来ても驚きがないのだ。
一方で誤謬の読み方は、"ごびゅう"であるが、発話時の認識は"ごびゅー"だろう。また、私の認識は"誤ビュー"なのだ。ここがよく分からない人は、先に言ったように以降の説明も理解してもらえないと思われるので、次の段落まで飛んでもらいたい。
とか言いながら早速改行してしまったよ。今度こそ次の段落に行けば煩わしい説明は終わっている。それでは説明に戻ろう。"誤"という文字は明らかに漢字だ。"川"は漢字だが、漢字の濃度としては薄い印象を受ける。"外"は"川"よりは濃いが"誤"よりは薄い。とにかく、漢字の濃度が濃い"誤"の後にカタカナの濃度が濃い"ビュー"が来るなんて想定できるわけがないのだ。自分で発言しておきながら不意打ちを食らったような気になる。不意打ちと表現したから勘違いさせてしまうかもしれない。棚からぼたもちの方が近い。合わせる前から合うと確信できる食材の組み合わせよりも、一見合わなそうな2つの食材の組み合わせの方が美味しかったときの感動が大きいように、"誤"の後ろに"ビュー"が続く世界に生きていることに心が躍る。ここまで辛抱強く読んでくれた人は、"仮病"が"誤謬"ほどの感動を与えない理由を説明できるだろう。
初めて次回に続く。




