カマキリのいる部屋
窓に映る空は暗くなり虫の鳴き声が耳に心地よい。
そんな中かまきりと目が合った。気まずくて目を逸しちゃったのは内緒。
家の中だからね。いるとは思わなかった。
いないと物足りないのに、いると鬱陶しい。
−ものなーんだってクイズにしても良かったけど、人によって答えが変わりそうだから、どちらかといえば部分点がもらえるタイプの国語の問題にしてあげるべきだった。
私はかまきりの持ち方を知らない。箸の持ち方は親から教育されたけど、その他諸々のモノやコトの持ち方を教わってない。
だから、巻物を渡されたら、どうやって持つのが正解か分からずにあたふたしてる自分が容易に想像できる。カチンコとかも持ち方がままならなそう。
かまきりを見た途端に私は慌てていいはずだ。逃げ出しても良かった。そうしなかったのは、かまきりが決して嫌がらせで私の部屋に現れたのではないことを確信していたからだ。かまきりにも目的がある。一人間の私には推し量れないが。
かまきりは丸い窓の縁に座していた。それからゆっくりと体を動かす姿はシロクマを連想させた。ここにいるのがシロクマでなくて良かった。そう今は心から思える。つまりこの現状は良かったのだ。
窓を開けてみたが、シロクマではないかまきりは微動だにしない。
「うちに帰りな」
無責任なことを言った。だけど願いでもあった。
「一生ここにいても構わないけど、お前には窮屈だろう」
口語で、だろう、なんて私らしくもないけど、緑の生き物がそうさせた。緑の生き物ってバッタじゃないからね。言い換えてみただけ。
掴み方は分からないが、はたき落とすのはできる。
虫だから。
私と違うから。
だから残酷になれる。
今まで靄のかかっていたその選択肢を認識した。
その手段を閃いてしまったとき、私は罪人(=つみゅうど)の一歩を踏み出していた。
「ぎゃんぼぜ」
鳴かないはずのかまきりが鳴いた気がした。
「君を悪者にはしないよ」と長い髪を後ろで結んだ通訳の方は訳してくれた。私の隣に立っている通訳の方が日本語と英語、中国語、フランス語を堪能に操ることは確かだが、かまきりの言葉は知らないはずだ。
だから、適当な言葉を選んで私を慰めようとしてくれたってことなんだろう。
かまきりは脈絡もなく飛んでいった。空の中でも大空のほうへ。
それを見届けてから、ほっとして床に座り込んだ。お尻が妙にひんやりとした。手が小刻みに震えている。私は怖かったのだ。あのカマを二つ所持した生き物が。
早く母やお姉ちゃんを呼んでいればこんなに怖い思いをしなくて済んだのだろうか。だけど私が悲鳴を上げたら、かまきりは侵入かまきりの烙印を押され、あっという間に加害かまきりだ。
かまきり界が嫌で人間界に避難しただけかもしれないのに。ちょっと人間界で過ごしたら、また戻って精進できるかまきりなのに。少々かまきりに肩入れしすぎかな。私はかまきりじゃないよ。
「ぎゃんぼぜ」
遥かな空へ行ってしまったかまきりに私は言った。通訳の方は笑っていた。
「あっちは平気でかまきりの言葉を喋ってるんだから、アンタも日本語で喋ればいいのに。お人好しなんだから」
「最初に人間の言葉で話したのは私だから。歩み寄るのも私からじゃないと」
「そうか。じゃあ、あのかまきりにアンタの言葉伝えてこようかね」
そう言ったかと思うと、通訳の方は大空へ飛んでいった。かまきりに負けじと大空のほうへ。
窓は開けたままにしておいた。
室外から流れ込むひんやりとした夜風が私の身体を震わせた。




