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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇一月】二八〇年〇三月~三〇九年〇七月

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9/18

【8日】286年10月~287年09月

【286年10月~287年09月】

資治通鑑原文158文字(361/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/1-司馬炎-1/11

 1/1-司馬衷-1/29

 1/1-劉淵-2/2

 1/4-慕容廆-2/26

・準メインキャスト

 1/1-司馬倫-1/23

 1/1-張華-1/22


【できごと】

打ち続く凶兆! そして蠢動する拓跋


 いわゆる儀礼的な意味での大事件が起きてしまいます。晋の太廟、すなわち司馬氏の代々の先祖を祀る霊廟の床が陥没しました。


 資治通鑑の書きぶりからすれば、この事件こそをこの歳のハイライトにしたい、ということなのでしょう。なのでそこに乗っかり、少し先祖祭祀について説明を加えておきます。すでに名門の家が保たれがちである、とは書いたとおりですが、これは中華圏の価値観として「先祖をきわめて重んじ、その血統を絶やさないことこそが最大の孝行である」とすることによります。つまり、偉大なる先祖の事業を継承していること、が敬意、そして権威の源泉ともなるのです。ともなれば、理屈の上からすると人主たる皇帝とは「孝行の上でもまた、もっとも秀でている」とされます。このため先祖祭祀についても、他家とは段違いで重視されています。


 そんな家の霊廟が損ねられる。これが何を意味するのか? 「そのふるまい、天下の主としての資格なし」という、天や先祖よりの糾弾、と評価されるのです。このため武帝は「補修のために人員を大動員しました」。そこじゃない。


 他の特記事項は匈奴が再び晋の領域内に移住してきた、と、鮮卑拓跋部で大人の兄弟間継承がなされた、です。ここで鮮卑たちについて、改めて書いておきましょう。今もっとも存在感を示している慕容部は、のちに五胡十六国時代に燕として強盛を誇ります。宇文部は、そのつながりについてはややあやふやなところもあるのですが、南北朝時代に北周を打ち立てることになるのが宇文氏です。そして拓跋部は、こののち代を経て五胡十六国の最終勝者、北魏へと転じます。即ち、のちの北朝諸国家の原型は、既にこの時期には胎動していたわけなのです。


 なお、慕容部や拓跋部はもともとさらなる北方を拠点にしていたところ、何世代かを経て徐々に南下してきました。ならば両部がこの先、中華とぶつからぬはずがない、と言うことができるでしょう。

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