表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇一月】二八〇年〇三月~三〇九年〇七月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/29

【7日】285年11月~286年09月

【285年11月~286年09月】

資治通鑑原文360文字(354/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/1-司馬炎-1/11

 1/1-司馬衷-1/29

 1/1-劉淵-2/2

 1/4-慕容廆-2/26

・準メインキャスト

 1/1-司馬倫-1/23

 1/1-張華-1/22


【できごと】


迫る胡馬の足音! 鮮卑と匈奴


 1/1日号にて呉制圧の大功を挙げるも独断専行を糾弾された将、王濬が死亡しました。あまりにも淡々と三國志の終焉を導いた人物たちが消えまくっています。

 ちなみに王渾王済親子と違い、王濬の家門情報は資治通鑑に載りません。晋書に少し載る程度です。前者はのちの南北朝時代でも大きな存在感を示す太原王氏で、後者はここで史書に載る家門が止まる弘農王氏。この両名の子孫の書かれ方こそが、九品中正制のありようを示している、とすら言い切ってしまっても構わないでしょう。名家以外は士人にあらず、というわけです。


 このころ、地方はどうだったのでしょうか。まず、これが語られました。匈奴十万「世帯」の帰属。世帯ですから、人口で言い換えれば、百万レベルです。こういう集団が晋になだれ込みました。こんな大規模集団をどう養うのでしょうか。


 更に、鮮卑。特に慕容部は慕容廆の統率のもと、晋の北東部に頻繁な襲撃を掛けています。なお鮮卑は慕容部のほか宇文部、段部、そして拓跋部がおり、それぞれが婚姻関係を結び合いながら同時に殴り合うという恐ろしい状態となっています。このときも慕容部は宇文部、それと今で言う朝鮮半島の国、夫余を襲撃。ここまでは晋もなんとか慕容部を撃退できていましたが、その圧力はにわかに高まっていました。


 この年、誰が何をしたかという具体的事例は少ないです。ここまでの状況に特に変更がなかった、と読むべきなのでしょう。しかしながら、人物の退場だけは淡々と書かれます。寡黙に淡々と実績を積んだ魏舒、宗族の中でも武力折衝力に優れた司馬駿。こうした人物の引退や死亡が書かれる一方で、次代を牽引するに値する新星はまるで登場しません。

 明日の資治通鑑は、今日以上に「何も書きません」。これだけ不穏な動きを書いておきながら設ける余白には、空恐ろしいものが感じられてなりません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ