【19日 353年04月】殷浩コケる! 咄咄怪事
【353年04月】
資治通鑑原文2263文字(196/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
3/14-王羲之-3/28
3/15-苻堅-4/22
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
2/28-慕容儁-3/26
3/17-姚萇-5/1
【あらまし】
冉魏なきあとの中原を獲得すべく殷浩が動きましたが、その動きは一口に言って拙劣、でした。先鋒とすべきはずの姚襄を猜疑、嫌がらせをしかけ、逆に姚襄から攻撃を喰らい、大敗。さらには桓温よりの弾劾も受け失脚します。またこの当時前秦では苻健が投降者慰撫に失敗して関中で大規模反乱を招き、情勢を不安定なものとします。さらに前涼でもクーデターで名将謝艾を喪失。この機会を受け、桓温の二つ目の軍役、関中遠征が始まるのです。
【できごと】
姚襄は駐屯地で大いに人心を集めました。この事態を恐れたのが殷浩です。現地にて独断専行がすぎると非難、さらには暗殺の刺客を飛ばしもしますが、すべて姚襄に取り込まれました。さらに姚襄の配下、権翼が殷浩のもとに訪問してきたので殷浩が姚襄についてなじれば「そもそも猜疑心をお持ちなのはあなた様では?」と返される始末。ちなみにこの権翼さんは面白い人なので、ここから先もなんとなく追っていきます。
この頃前秦は洛陽や許昌にも勢力を伸ばしていました。殷浩はこの軍を打ち破り洛陽を奪還する好機だと姚襄を先鋒とし、自身が本軍として北伐を敢行しますが、ここで進軍するふりをした姚襄が殷浩軍を待ち伏せし、襲撃します。この襲撃をまともに食らった殷浩軍はもはや北伐どころではなく、ほうほうの体で撤退しました。そこから体制を立て直し逆襲を試みるも失敗、逆に姚襄から建康に殷浩弾劾の上表が届き、さらには桓温も殷浩を弾劾。このため殷浩は庶人に落とされ、追放先で「咄咄怪事」と書き残し、死亡しました。こうして建康が対桓温の切り札と考えた殷浩が消え、桓温が北伐を開始します。ターゲットは関中、長安です。
では、ターゲットの苻健はどうだったでしょうか。投降してきた勢力を愚弄した結果盛大な反乱を招きました。この反乱を鎮圧するために苻健は苻雄を大車輪で運用せねばならなくなりました。結果苻雄の名声がうなぎのぼりとなります。ちなみにこの府雄が、苻堅の父親です。
またさらに西方の前涼では、張重華が東晋の意向を無視して王を名乗り始めるも、間もなくして死亡。その息子である張耀霊があとを継ぎました。しかし張重華の弟である張祚が簒奪。張耀霊を幽閉の上、国防の英雄である謝艾を殺害してしまいます。こうして前涼も、ここから一気に暗雲立ち込めることとなるのです。




