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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇三月】三三六年〇六月~三六五年〇七月

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76/81

【16日 350年05月】ボコられ冉魏! まだまだ余裕

【350年05月】

資治通鑑原文4247文字(88/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 3/3-冉閔-3/18

 3/4-慕容垂-5/3

 3/8-桓温-4/9

 3/14-王羲之-3/28

 3/15-苻堅-4/5

・準メインキャスト

 2/14-拓跋什翼犍-4/13

 2/28-慕容儁-3/26


【あらまし】

 冉閔包囲網が敷かれ、前燕と姚弋仲が連携。冉魏軍を大破しましたが、冉閔捕獲には至りませんでした。こうした中、苻健は長安を獲得して秦王を名乗ります。こうした中原の混乱を眺めつつも、晋では統率機構の整備がまともに進まず、人事パズル解きに奔走してばかりでした。



【できごと】


 中原勢力の突き抜けた武に、晋はどのように対峙すべきでしょうか。必要なのは搦め手です。苻健や姚弋仲に官位を与え、対冉魏の先鋒とする。このとき苻健は政治的空白に乗じて長安を占拠していた勢力をまたたく間に蹴散らし、拠点としていました。姚弋仲は南下のうえ、息子の姚襄を冉閔討伐のため差し向けます。ついでに北からは前燕が龍城から薊に都を移し、慕容恪及び慕容覇を尖兵として南下させています。


 この状態でよくわからないのが、なぜこれだけの攻勢を受けて冉閔がすり潰されていないのか、です。もちろん、このタイミングで前燕姚弋仲連合軍に対し、いちど大敗は喫しています。とはいえ自身は無傷で鄴に帰還、態勢の立て直しを果たしています。その中途半端な戦果に姚弋仲が激怒して姚襄をしばいたほどです。徐々に追い詰められているとはいえ、そのしぶとさはただごとではありません。もちろんこれは冉閔ひとりの実力によるものでもなく、たとえば資治通鑑ではこのとき冉魏より派遣された使者が前燕と命を張ったやり取りをして慕容儁を感服させていたりもします。


 こうした中、苻健は対冉魏戦には参加せず、長安で自身の基盤固めに勤しみ、ついには秦王を名乗ります。前秦の建立です。このとき多くの賢才を集めたのが、将来の雄飛にも繋がります。ただ漢中より関中を狙う晋将の司馬勲に迫られていたりもしているので、安泰、とはいい難い状態でした。


 さて、北に間接的に介入していた晋はどうだったでしょうか。たびたび的確な見解を提示していた蔡謨が、にもかかわらず三公就任を拒んでいたため、ついには国家への不敬ということで処刑とまで言われ始めていました。最終的には庶人に落とされる形で決着したのですが、まあ蔡謨としても、下手に高位について面倒くさい奴らのお守りはごめんこうむりたかったのかもしれません。その後復帰はせず、自宅にて子弟らを教育し、死亡しました。当時としては極上の最期と言うべきでしょう。


 なお、この頃まだ後趙の皇族は生き延びていました。しかし、冉閔に攻められる中で配下将に裏切られ、皆殺しとなります。ここに後趙が滅亡しました。この結末、石勒が見たら卒倒しそうですね。まあもう死んでますけど。


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