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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇三月】三三六年〇六月~三六五年〇七月

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75/80

【15日 349年06月】殺胡令! 狂気の冉閔

【349年06月】

資治通鑑原文4593文字(79/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 3/3-冉閔-3/18

 3/4-慕容垂-5/3

 3/8-桓温-4/9

 3/14-王羲之-3/28

・準メインキャスト

 2/14-拓跋什翼犍-4/13

 2/28-慕容儁-3/26


【あらまし】

 あまりにもグダグダにすぎる展開を示した後趙のポスト石虎権力闘争に石閔、すなわち冉閔が覇者となりましたが、これはこの先の大戦の嚆矢に他なりませんでした。殺胡令という、この時代の倫理基準を踏まえてもアウトな命令を下し、中原をド級のカオスに陥れてしまうのです。



【できごと】


 後趙の混乱の中、東晋では褚太后の父、褚裒が千載一遇のチャンスとばかりに北伐を敢行するも、李農率いる騎兵隊に跳ね返され、大敗。後趙の混乱によって生じた難民二十万人あまりをみすみす死なせてしまう、と言う大失態を侵しました。ちなみに出征前、蔡謨が「無理だからやめとけばいいのに」と漏らしています。ほんとこのひとおいしいな。なお褚裒は難民全滅の報を聞きショックを受け、死亡しました。ただ晋は一応、このタイミングで後趙に取られていた寿春や宛を奪還しています。前燕ほどではありませんが、いちおう晋も後趙の混乱に乗じることはできていたのです。ええ、いちおう。


 戦そのものは強かった後趙でしたが、中央はグダグダ。新たに立った石遵、そして石鑑はたちまち石閔に殺され、さらに石虎の子孫も皆殺しに。石閔を打倒せんとする勢力についてものきなみその圧倒的な武力で踏み潰しました。その上で石閔は「胡人を殺したものには褒賞を出す」と言い出します。悪名高き殺胡令です。これにより胡人はおろか、ただ顔の彫りが深いだけのひとも殺されました。無茶苦茶です。


 そこから石閔は何故かいったん衛王李閔と名乗ったあと、魏王冉閔と名乗り直します。さらに李農を始めとした、自身の即位に貢献した配下を殺害しました。こうした無道もあり、蒲洪は冉閔の猜疑より逃れるために西に脱出、姚弋仲は晋に帰属するため南下と、配下の離反が一気に進みます。


 ところで西方に逃れる蒲洪には孫がおり、その子の背中には、生まれつき「苻」と読めるアザがありました。これを見た蒲洪は喜び、自身の姓を蒲から苻に改めます――ちなみにこのアザがあった赤子は、誰あろう、後の世の覇王、苻堅でした。


 ここから苻洪は西方での勢力基盤構築に向かおうとするのですが、その途上で、「あの」麻秋を捕まえ、配下に加えました。すると麻秋は苻洪が持つ兵力基盤を奪おうと企み、苻洪を暗殺。しかし、すぐさま苻洪の子、苻健によって殺されます。ここから苻健が苻洪の勢力を継承し、長安の獲得を目指します。すなわちここから、前秦建国物語が始まる、と言うわけです。

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