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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇三月】三三六年〇六月~三六五年〇七月

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74/84

【14日 348年07月】趙燕大喪! また同時か

【348年07月】

 資治通鑑原文4607文字(77/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 2/3-石虎▲

 3/3-冉閔-3/18

 3/4-慕容垂-5/3

 3/8-桓温-4/9

 王羲之-3/28

・準メインキャスト

 2/14-慕容皝▲

 2/14-拓跋什翼犍-4/13

 2/28-慕容儁-3/26


【あらまし】

 慕容皝と石虎が死亡。ここで前燕はともかく、後趙は真っ逆さまの地獄絵図です。とは言えこの頃晋では桓温と殷浩との対立が表面化し始めており、後趙のこの混乱をつく余裕がありません。ならば、どこが動き始めるのか? 前燕、と言うわけです。



【できごと】

 この年の大トピックは石虎と慕容皝の死亡です。先代と同じくの、同タイミング。仲がいいですね! 前燕の継承劇はわりと円満でしたが、後趙はもう地獄です。


 慕容皝は死亡の際、慕容儁に対して「慕容恪たちの補佐があれば不安はあるまい」と言い残しました。こうして慕容儁が燕王に即位。南征を決意します。ここから先、前燕は北東部の雄として一気に駆け上がります。ただ、それは結局何が原因だったのでしょうか。後趙の崩壊、以外にありえません。


 石虎太子の石宣でしたが、まんまと石韜殺害は果たしました。しかし周辺から石宣による殺害計画がばれ、すぐに囚われました。石虎は石宣にあらん限りの拷問を加えた上で殺害、更にはその子たちまで。その上で、自身はショックで寝込み「なんでわしの子はこうもクズばかりなのだ! もうだめだ、年長者は信じられん」と嘆き、当時十一才の石世を太子に据えました。そして自身は天王から皇帝になります。なんだこれ。


 ここで、石宣の子飼いたちは涼州に追放されました。この処遇に怒った人物がいます。梁犢と言います。梁犢は追放先の雍城で決起、鄴への帰還を旗印として突き進みます。迎撃軍はのきなみ敗北、あわや鄴に肉薄、という事態にまでなったのですが、ここで石虎は姚弋仲を召喚、撃退に充てました。姚弋仲はかなり激しく石虎を叱責したのち出征、あっさり撃退します。ジジイが強すぎる。


 そして、石虎が死亡します。石世があとを受け即位こそしましたが、臣下らはみな石虎の子の中で比較的有能であった石遵を引き立て、瞬く間に石世を廃位、殺害。石遵を帝位につけました。ここで大功あったのが、石閔でした。


 こうした中、晋では漢を滅ぼした桓温の名声がうなぎ登り。中央は桓温の権勢を抑え込む役割として殷浩を更に引き立てます。この対立を危ぶんだのがいわゆる書聖、王羲之でしたが、和解にはこぎ着けられませんでした。とは言えこの年はまだ蜀や寧州の反乱鎮圧に忙しく、政争は翌年以降に持ち越されます。


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