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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇三月】三三六年〇六月~三六五年〇七月

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73/86

【13日 347年07月】嘆く石虎! 更なる狂気

【347年07月】

 資治通鑑原文1419文字(277/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 2/3-石虎-3/14

 3/3-冉閔-3/18

 3/4-慕容垂-5/3

 3/8-桓温-4/9

・準メインキャスト

 2/14-慕容皝-3/14

 2/14-拓跋什翼犍-4/13

 2/28-慕容儁-3/26


【あらまし】

 軍略に行き詰まりを見た石虎が乱政暴政を繰り返します。その上で後継者問題も紛糾。どうするんですかこの国。そして蜀も晋のもとに帰したとは言え引き続き不穏。次の破綻、すぐそこです。



【できごと】


 前年に引き続き、前涼攻略がまるで上手くいきません。どれだけ麻秋をはやし立てても、謝艾の前に連戦連敗。あまりの勝てなさに、ついに石虎は嘆じます。「天下を治めたわしが各地の兵を結集して、西の片隅ひとつ落とせぬのか! 彼の地に賢才がおる限り、滅ぼすことなぞ叶わぬのであろう」と、ついに前涼攻略を断念。撤退する後趙軍を見届けてのち、謝艾は帰還のついでに現地の反乱軍を軽くひとひねりしました。このひとの異常な余裕ときたら。ただ、謝艾が前線から引いたところで麻秋は再び国境地域を襲撃、領地を掠め取っています。なかなかにこすっからい。


 こうした敗戦による武威の沮喪を、石虎は建造能力の誇示でカバーしようと考えたのでしょうか。晋との間に長城を築くと言い出し、これを暴風雨の中で敢行。数万人の死者を出すなどの凄惨な結果を招いています。ちなみにこれは僧侶からの「胡の運勢は衰え、晋が復興しようとしています」なる進言を真に受けてのものだったのですが、なんというか、ここまで「石虎個人の責任に帰せてしまうような話ばかり」だと、やっぱり桀紂神話の盛りっぷりを石虎に当て込まずにおれません。ねえ、やった? 本当にそれ石虎やったの??? というわけです。


 ただ、こちらは間違いのないことでしょう。太子の石宣と、その弟である石韜の間で起こった確執、を通り越した殺しあい。たとえば石韜が建てた宮殿の名称が宣光殿であり、これが石宣の名を犯している、と石宣がご立腹。両名はそうしたことをはじめとした様々ないがみ合いをしていたそうですが、ここで石虎が「韜を太子にすればよかったか」などと漏らしてしまったから、さあ大変。石宣、石韜を殺し、その葬儀に現れる石虎も一緒に殺害しよう、と物騒な計画を立て始めます。


 一方、後趙軍を撃退した前涼では、張重華が「慕容が王と呼ばれるならわしだって王でいいだろう!」と駄々をこね始めます。ただ、ここで臣下から「慕容の王号は異民族懐柔策なんですけど、そういう目で晋に見られていいんですか?」と諭され、渋々取り下げています。


 また蜀では成の時代の名臣、范長生の息子が皇帝に担がれ、決起。またぞろ全土が忙しくなりそうです。

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