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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇三月】三三六年〇六月~三六五年〇七月

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71/80

【11日 345年09月】殷浩登場! 世代が進む

【345年09月】

 資治通鑑原文1984文字(230/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 2/3-石虎-3/14

 3/3-冉閔-3/18

 3/4-慕容垂-5/3

 3/8-桓温-4/9

・準メインキャスト

 2/12-張駿▲

 2/14-慕容皝-3/14

 2/14-拓跋什翼犍-4/13

 2/28-慕容儁-3/26


【あらまし】

 東晋では、中央に殷浩が抜擢され、西で桓温が漢討伐の軍を立ち上げました。次の時代の政争が幕を開けた感じです。燕は独自元号を立てて自立の姿勢を示し、涼でも張駿から張重華への代替わりの際に王を名乗り始める。いよいよ五胡十六国の第二局面が始まった印象です。



【できごと】


 王敦蘇峻が現れれば温嶠が支え、庾氏が台頭すれば何充が整える。こうした系譜は、次の世代の謝安にもつながる気がします。ともあれ、ここで何充が死亡しました。何充の一門はここで有名人が止まるので先に書いておきます。「にもかかわらず」劉宋に、何充の一族が多く婚姻を結んでいます。これはおそらく仏教絡みのつながりなのですが、具体的なところはよくわかりません。


 残された司馬昱らは、ここで新たな支柱を求め、この当時に最も高い名声を誇っていた人士を朝廷に召喚します。殷浩。この当時の人々からは管仲よ諸葛亮よと讃えられていました。ただそうした中殷浩は父親の墓所でいわゆる三年喪をも遙かに上回る期間喪に服していました。そこに司馬昱をはじめとした東晋人士らの再三の説得があり、ようやくこの年に立ち上がったのです。こうした人物の参与は、朝野より大きな歓迎を受けたそうです。またこのタイミングで、桓温が漢討伐の承認を得ます。東晋の勢力地図、激変の兆しです。


 前燕は扶余を大破し、独自年号を打ち立てるようになります。もはや東晋の権威はいらない、とでも言わんばかりです。また対後趙の最前線に慕容覇を配備。後趙将を縮み上がらせました。そんな後趙では石虎の暴走がいよいよ甚だしくなる中、姚弋仲がその剛直さで石虎を感服させたり、蒲洪が命をかけての諌言をなすなど、のちのビッグネームたちがその輝きを際立たせる様子が描かれます。が、今回はこの程度の紹介にしておきます。特記されなかった、すなわち安定の続いていた涼州の状況が激変するのです。


 張駿は死亡が近くなると、ついに仮王を名乗り始めました。そろそろ我々は晋からも独立しますよ、という意思表示です。そして、死亡。張重華が即位し、引き続き涼の仮王と名乗りました。ならばもう、ここからは前涼と呼んでしまっても良いでしょう。これを好機と見たか、後趙の猛将、麻秋が攻めてきます。しかしこの軍は、無名の将によって撃退されました。彼の名は謝艾といいます。その名は、この先の前涼で、鮮やかな輝きを示すことになるのです。

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