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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇三月】三三六年〇六月~三六五年〇七月

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69/81

【9日 343年10月】康帝危篤! 庾氏も危うい

【343年10月】

 資治通鑑原文1373文字(281/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 2/3-石虎-3/14

 3/3-冉閔-3/18

 3/4-慕容垂-5/3

 3/8-桓温-4/9

・準メインキャスト

 2/10-李寿-3/9

 2/12-張駿-3/12

 2/14-慕容皝-3/14

 2/14-拓跋什翼犍-4/13

 2/28-慕容儁-3/26


【あらまし】

 すみません、宇文の滅亡、慕容翰の誅殺はこちらのタイミングでした。ともあれこの年、石虎は南征のための百万の軍を立ち上げては解散、大臣に無実の罪を着せて殺すとなかなかの熱暴走。東晋では康帝が危篤に陥ったり、庾翼が北伐に失敗したりと、こちらもまた危うい状況が続きます。



【できごと】


 昨年の石の虎移動事件で気を良くしたのでしょうか、石虎が軍勢を集めて南征の準備を開始します。その兵力、公称百万。さすがに盛り過ぎとは言え、大軍勢であったのは間違いがないのでしょう。しかしながら、この招集は「石虎の目の前に突然白い雁が集まり、しかも追い散らすことが出来なかった」ことから中止となりました。どういうことなんだぜ。そんなことで解散など、招集された人々にとってはたまったものではありません。よくそのまま暴動が起きなかったものです。


 その後も石虎の迷走は止まりません。占い師によって「この先に起こる不幸を止めるには王姓の貴人を処刑せねばならない」と言われたため大臣のひとりである王波に無実の罪を着せ、処刑しました。なおこの話にはオチがあり、石虎太子の石宣と王波の折り合いが悪かったため、石宣が占い師と繋がって王波を排除するための讒言をもたらした、というものです。ちなみにこれが明らかになったからと石宣になんらかのおとがめがあった、とは書かれません。


 さて、突然よくわからない勢いで北土に大軍が現れて霧散した東晋はこの頃、どうだったでしょうか。康帝がさっそく危篤に陥りました。健康でなさすぎる。このため朝議が立ち上がり、誰を太子に据えるか、の議論が起こりました。ここで庾冰は康帝を推したのと同じロジック、すなわち「この危急の折には年長のものを人主に据えるべき」という理由で司馬昱を推しましたが、何充をはじめとした大臣らは猛反対。正嫡を据えるべき、ということで、当時生まれたばかりであった康帝の嫡子司馬聃を推薦します。康帝もまた司馬聃の太子推戴を承認しました。


 ここでの問題は、司馬聃の母親が庾氏ではないことです。康帝皇后の褚氏は褚裒の娘でしたが、ここで褚裒は娘が皇后になったそばから中央から退き、権勢を拒否しました。これが大臣や官僚たちにどう映ったことでしょうか。つまり司馬聃即位により、庾氏はいよいよ外戚の座から滑り落ちるのです。庾翼の北伐は「功績によって地位を保つ」側面もありました。しかし、実際に興された軍は大敗、桓宣は敗北を恥じて病死しました。これは、庾氏の権勢が実質挫折した、と言うしかないのです。


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