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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇三月】三三六年〇六月~三六五年〇七月

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68/81

【8日 342年10月】桓温登場! 庾氏の婿

【342年10月】

 資治通鑑原文2599文字(170/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 2/3-石虎-3/14

 3/3-冉閔-3/18

 3/4-慕容垂-5/3

 桓温-4/9

・準メインキャスト

 2/10-李寿▲

 2/12-張駿-3/12

 2/14-慕容皝-3/14

 2/14-拓跋什翼犍-4/13

 2/28-慕容儁-3/26


【あらまし】

 東晋朝廷と庾氏との軋轢の中で、ついに桓温が登場します。明帝と庾皇后の長女を娶った桓温は西方軍略に本腰を入れる庾翼の元で存在感を示します。また前燕が高句麗と宇文部を大破、後趙国内では石虎が暴走、漢では李寿が死亡と、この年も各地が忙しいです。



【できごと】


 この年、ついに桓温が登場します。その立場は明帝の娘の婿。つまり、庾氏にとっては娘婿です。蘇峻の乱で配下の裏切りにより無念の死を遂げた父、桓彝を死に追いやったその配下を単独で殺し、その激しい気骨を庾翼に惚れ込まれ、立身。存在感を高めました。なおその庾翼は兄が成し遂げられなかった北伐を再度提唱。拠点を武昌から襄陽へと移し、先鋒に桓宣を据えます。なお桓温と桓宣はかなり遠い親族ではあるようです。また武昌には庾冰が庾翼の後釜としてつき、中央には何充が復帰しました。


 昨年おとなしかった前燕と後趙、この年は大忙しです。前燕は高句麗、次いで宇文部を徹底的に大破しました。この戦いによって高句麗は王の家族が前燕にさらわれています。以前書いたこともありますが、このあたりの前燕を三国史記で追うとマジで魔王です。そして宇文部は、この戦いによってほぼ滅びました。段部と違い前後燕の皇后に宇文の姓も見えません。一応この当時の大人であった宇文逸豆帰の五代子孫が北周の実質的建国者である宇文泰、ということになっています。ともあれ高句麗、宇文部の大破で大功を挙げた慕容翰でしたが、傲慢になってきた、ということで誅殺されました。うーん狡兎尽きたかー。


 後趙は石虎祭です。40万人以上を動員して、鄴から襄国を繋ぐ巨大な回廊だとか、宮殿の建築だとかを強行することによって餓死や自殺者などが出たり、その骸が獣に食いあさられたりしていました。更に徴発を息子たちに任せていたところそれぞれの勢力が増大、兄弟同士での権勢争いが激化します。そうした中済南にあった石造りの虎が南に動いた、と言う報告が届きました。石虎はこれを「わしが南方を支配するきざしに違いない!」と大喜びしたそうです。


 そしてこの年、漢で李寿が死亡、李勢が後継として立ちました。漢、いよいよ最終章という感じになってきました。

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