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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇三月】三三六年〇六月~三六五年〇七月

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66/81

【6日 340年12月】前燕遷都! 中原を睨む

【340年12月】

 資治通鑑原文1502文字(269/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 2/3-石虎-3/14

 3/3-冉閔-3/18

 3/4-慕容垂-5/3

・準メインキャスト

 2/10-李寿-3/9

 2/12-張駿-3/12

 2/14-慕容皝-3/14

 2/14-拓跋什翼犍-4/13

 2/28-慕容儁-3/26


【あらまし】

 慕容皝は棘城から西の龍城に都を移し、中原攻略の体制を本格化させます。それに当たって晋に燕王の爵位を承認してもらうべく使者を送りました。使者の劉翔は丁々発止のやり取りをなし、また慕容皝よりの追加支援も受けて、ついに燕王名乗りの承認を得ます。ただこのとき、燕より江南に出た劉翔は、晋人の弛緩ぶりにいたく失望した、ともされています。これは晋が最後まで中原を奪還しきれなかった理由なのでしょうか、はたまた。



【できごと】


 着実に国土を広げる慕容皝は、いよいよ都を遼河平原より西に進出。龍城という城を建て、新たな都とします。とは言え、既に燕王を自称していたわけですが、これを晋に認めてもらわないことには話になりません。そこで劉翔という人物を使者として送り込み、交渉させます。晋側は異民族に王の爵位を与えることに渋りました(慕容廆のときも陶侃がお茶を濁し、朝廷そのものは回答していませんでした)が、劉翔はそこに「忠臣の心をへし折るおつもりですか!?」と迫ります。更に慕容皝は別途手紙を飛ばし、成帝には「庾氏は何を企んでいるかわかりませんぞ」と言い、反対派の筆頭であった庾冰に対しては謎の手紙にて脅しをかけました。内容は不明です。こうして一年近くの評議を経て、最終的には慕容皝が燕王となることが承認されます。


 その間、劉翔は江南をつぶさに見て回り、あまりにも晋が戦いに備えていないことに愕然としました。このため宴席に参加しては「このまま北族をのさばらせた状態で安逸を貪られるおつもりか!」を大臣らを叱咤、恥じ入らせたり、晋からの返礼の使者とともに燕に帰還する際にも「いま、漢と趙とがお互いを食らいつくさんとしていますが、ならばこそ速やかに漢を討つべきにございましょう」と提言しています。劉翔は燕に仕えてこそいますが、晋の朝廷に姻戚を持つ、れっきとした晋人でもあります。燕にあるからこそ、晋のふがいなさが耐えきれなかったのかもしれません。


 劉翔出立後の晋では「土断」という政策が施行されました。これは土地を断つ、の意味で、八王以来中原から江南に流れ込んできていた人々を流寓の身から、正式に江南の戸籍に組み入れる、というものです。この政策は、以後も定期的に実施されることになります。


 このほか北では拓跋什翼犍が鉄弗の劉虎を、慕容皝が後趙軍を、そして慕容恪が高句麗を撃退しました。なおここで劉淵の時代ころから現役であった劉虎が死亡、子の劉務桓、すなわち赫連勃勃の祖父が継承します。


 世代交代の波が、各地でうねっています。

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