【3日 338年01月】慕容恪と冉閔! 竜虎相討つ
【338年01月】
資治通鑑原文4697文字(74/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
1/26-王導-3/5
2/3-石虎-3/14
冉閔-3/18
・準メインキャスト
2/10-李寿-3/9
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
2/28-慕容儁-3/26
【あらまし】
段部との決戦を経て、今度は慕容皝と石虎が直接対決。この戦いの軍配は慕容皝に上がりました。追撃を掛けるのは慕容皝の子、慕容恪。逃げる石虎を守るのは石虎の養孫石閔、のちの冉閔。将来の主役たちの第一ラウンドが終わり、成では李寿が、代では拓跋什翼犍が王として立ちます。
【できごと】
鮮卑段部は、後趙にとっても北の患い。このため慕容皝と手を組み、連合しての撃滅を申し出ます。しかしその直前に、慕容皝は前燕単体で段部主力を撃滅しました。段部に寄寓していた慕容翰は、北方の宇文部に逃れます。
さて、こうなると後趙の北上は単純に災いの襲来にしかなりません。しかも、ともに段部を攻めるはずが、後趙軍到着時にほぼ趨勢が決まっています。一番うまいところを先に食われた、と石虎は激怒し、そのまま進軍。あっという間に前燕の都である棘城に肉薄しました。ここで慕容皝は撤退を考えましたが、臣下らの「守りを固め、隙を突けば勝てる」という励ましに応じ、踏みとどまります。
実際に石虎は長期戦を想定していなかったようで、しばらく攻めあぐねたのちに撤退を開始しました。ここに、後に前燕の武の象徴として名を轟かせることになる慕容恪が追撃を仕掛け、後趙軍は総崩れとなります。しかし石虎を捕らえることはできませんでした。後趙最強の武、石閔に守られていたためです。なおこの石閔こそが、のちの冉閔です。慕容恪と冉閔と言えばまさしくこのあとの主役と言っていい存在ですので(全体の流れという意味で慕容恪をメイン級には据えられませんでしたが)、まさかそのデビューまで一緒とは、司馬光さんも割とこの二人の対決のことが好きそうです。
成では李寿を警戒する李期が、結局李寿の襲撃を受け捕まり、退位させられました。ここで李寿が「諸侯となるなら百代、天子となるなら数年」なる予言を受け、天子となることを選んだりもしていますから、ではどっちが悪いのか、みたいなのは下手に詰めようとしても仕方がなさそうです。なお、このときの李寿が漢王(つまり漢中を確保している諸侯)であったため、即位したそばから国号を漢に変更しました。成から漢に変わったため、まとめて成漢、と紹介されているわけです。
また代では拓跋翳槐が死亡、弟の拓跋什翼犍が後趙から帰還し即位、そのあとを継ぎます。いよいよ代が「北魏の前身」としての存在感を示すのです。




