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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇二月】三〇九年〇八月~三三六年〇五月

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60/80

【28日 335年03月】王導権勢! 帝の補佐

【335年03月】

資治通鑑原文1955文字(234/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/26-王導-3/5

 2/3-石虎-3/14

・準メインキャスト

 2/10-李寿-3/9

 2/12-張駿-3/12

 2/14-慕容皝-3/14

 2/14-拓跋什翼犍-4/13

 慕容儁-3/26


【あらまし】

 東晋では王導が再び大権を握って成帝の補佐をし、ここから建康の空気感が一気に文雅へと傾いていきます。後趙では石虎が仏図澄を奉じて鄴に遷都、以降の仏教拡大の端緒となります。慕容皝は慕容仁を撃滅、張駿は西方に勢力拡大と、どこを見てもゆっくりと次の大戦の準備が進んでいます。



【できごと】


 庾亮さんの華麗なるポカのおかげで、再び王導が中央に戻ってきました。そしてここで、西晋で見た「清談」の話が戻ってきます。王導自身が清談の達人であったため、その周囲に清談を得意とする人物が集まってくるのです。劉宋の時代に編まれた世説新語は竹林七賢がフューチャーされる本として有名ですが、実際はここから淝水の戦い辺りまでが最も厚く語られています。つまりここからは、ある意味で劉宋人にとり「理想の時代」であった、と言えるでしょう。


 石虎は僧侶の仏図澄を奉じ、鄴へ遷都。ここから、仏教が本格的に広まり始めます。その後石虎はわずか数十騎を引き連れ、長江を見物。立ち去りました。このニュースは見事に針小棒大となり、石虎が大軍を率いて攻めてきたことになりました。東晋は蜂の巣をつつく騒ぎになるわ、王導が最前線に出向させられるわの末、誤報であったと判明。報告者が大いに罰されています。晋人が名目で何を言おうとも、結局石虎をどう認識していたか、がありありと示されており、微笑ましいです。ただ西方では後趙軍の攻撃を陶侃の同僚であった桓宣という将軍が跳ね返したりもしています。一進一退、という感じです。


 ここで北方では慕容皝が凍結した海を渡るという荒業を決め、慕容仁を撃滅。誅殺しました。こうしていきなりの窮地を脱したところで、嫡子の慕容儁を世子とします。ここで一緒に慕容儁の弟を紹介しておきましょう。慕容恪、そして慕容覇。後者は後に名を、垂と改めます。また拓跋部では拓跋翳槐が部民の粛清に失敗、後趙に亡命。拓跋紇那が大人に返り咲きます。


 西方では張駿が西方諸国の制圧を果たし勢力を西に拡大、いよいよその勢力を確かなものとします。対して成では李期が早速李雄時代の遺産を食いつぶし始めるわ、忠臣を処断、追放し始めるわと、各所で見た暗君ムーヴをさっそく開始していますが、これは直後に李寿がいる以上、多少悪事を割り引いてみたほうが穏当だと思います。


 とにもかくにも、どこもかしこも、笑っちゃうほど不穏な動きが続いていますね。

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