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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇二月】三〇九年〇八月~三三六年〇五月

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58/85

【26日 333年04月】二巨星墜つ! 華北が揺れる

【333年04月】

資治通鑑原文3445文字(124/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/4-慕容廆▲

 1/26-王導-3/5

 1/27-石勒▲

 2/3-石虎-3/14

・準メインキャスト

 1/25-李雄-2/27

 1/25-陶侃-2/27

 2/10-李寿-3/9

 2/12-張駿-3/12

 2/14-慕容皝-3/14

 2/14-拓跋什翼犍-4/13


【あらまし】

 この年は慕容廆と石勒という五胡第一世代屈指の巨星が死亡し、どちらの国でも動乱が起こっています。こうした事態を憂慮した張駿は成を通じて晋との連絡ルートを確保、なんとか孤立を防ぎました。とは言えここから後趙ではいよいよ石虎が立ち、恐怖の時代が幕を開けるのです。



【できごと】


 五胡十六国時代の第一世代が退場しました。慕容廆と、石勒。ここで慕容廆はまだつつがなく大人継承が叶ったのでいいのですが、問題は石勒です。死の床についた石勒を看病という名で石虎が独占、まともに遺詔も下せない状況としました。そして石勒が死亡したそばから、張賓亡き後の石勒を支え、かつ石虎を警戒し続けていた程遐および徐光を収監、殺害。さらには即位を嫌がる石弘を強引に帝位につけ、そこから石勒の皇后であった劉氏を始めとした石勒関係者を殺し、あるいは追い出し、石虎討伐に決起した諸宗族もあっという間に殲滅します。


 この殲滅劇に際しては、石虎自身が洛陽や長安にまで出征しています。ここで長安でいちど大敗を喫したりもするのですが、トータルでは一方的な完勝でした。石虎の暴虐を聞いた蒲洪などはいちど張駿のもとへの帰属を願い出ていますが、石虎自身の接近を聞くとすぐさま復帰を言い出しています。それだけ石虎の武力が異常だった、と言えるでしょう。こうした軍略の鮮やかさについては、東晋官僚の蔡謨が「あの者について有能無能と論じるのも馬鹿馬鹿しい」と論じ、北伐を言い出した庾亮を止めたほどです。


 では、慕容部は平穏だったのでしょうか。いいえ。継承こそ問題はありませんでしたが、慕容皝は弟たちと不和でした。上の弟の慕容翰は対立を避け段部に出奔、下の弟の慕容仁は粛清を恐れて決起。この決起には段部も呼応したりで、慕容皝、いきなり窮地に立たされます。とはいえ段部にいた慕容翰が「あまり攻め込むと罠があるかもしれませんよ」と段部の大人に囁いたことにより、決定的破滅は免れました。


 西方では、このままだと本格的に後趙に圧迫されると恐れた張駿が、成を経由し、東晋に使者を派遣します。はじめこれを李雄は阻止しようとしたのですが、まっすぐに道義を説かれたため翻意、許可しました。以降涼と晋の間での使節のやり取りが欠かされなくなった、とのことですが、これが李雄死後どう変わっていくのか気になるところです。


 ごきっと不安定になった華北は、再び荒れ狂ってゆくのです。

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