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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇二月】三〇九年〇八月~三三六年〇五月

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54/80

【22日 329年07月】前趙滅亡! 両秦の種、東に

【329年07月】

資治通鑑原文2105文字(219/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/4-慕容廆-2/26

 1/26-王導-3/5

 1/27-石勒-2/26

 2/3-石虎-3/14

・準メインキャスト

 1/25-李雄-2/27

 1/25-陶侃-2/27

 1/26-劉曜-2/22

 2/10-李寿-3/9

 2/12-張駿-3/12

 2/14-慕容皝-3/14

 2/14-拓跋什翼犍-4/13


【あらまし】


 前年の両都決戦を受けての後始末が語られる年となっています。前趙残存勢力が石虎により撃滅され、ここに前趙が滅亡。ただその後の石勒による人事によって、石虎が怨念めいた怒りを抱くことになりました。また東晋では早くも別の人間による乱が起こって速やかに鎮圧されたりと、やはり安定には程遠い事態が続いています。あとすみません、吐谷渾の国号はこの年が始まりでした。



【できごと】


 劉曜が死んでも、残存勢力は健在。そこで石虎が出陣、完膚なきまでに叩き潰しました。これをもって最初の五胡国家が滅び、後趙が華北をほぼ掌握しました。ここで蒲洪および姚戈仲が後趙に帰順。ともに後趙での存在感を高めていきます。これを受け、石勒は自身の称号を王から天王に改めました。また臣下らの官位や爵位も整理しました。そして、ここで禍根を撒きます。後趙躍進の原動力である石虎を軽んじたのです。石勒と石虎は個人的な紐帯が太かったので、石勒としてはそこに甘えた形だったのでしょう。しかし石虎は言います。「王は都にいただけではないか!」と。ここで資治通鑑の記述を雑に整理すると「石勒の子孫なんぞみんなぶち殺すぞ」と石虎が叫んだ、となるのですが、これはどれだけ信じきれるのでしょうかね。


 拓跋部では拓跋翳槐が勢力を盛り返し、弟の拓跋什翼犍を後趙に人質として送り込むことによって後ろ盾を得ます。また吐谷渾では……あっ、ここ、一点訂正があります。この年が国号を吐谷渾とした初年だそうです。慕容吐谷渾の孫、慕容葉延が礼記に載る「公孫の子は、祖父の字を氏とすることができる」ことを根拠にしたのだとか。つまり慕容吐谷渾の曽祖父である慕容渉帰を国公と見立て、改めて慕容の分家だがひとつの独立した家として確立した、ということですね。


 蘇峻の乱がなんとか収まった東晋では、早くも次の乱が勃発しました。あのさあ。もともと塢主の一人として立ち回っていた、郭黙という人物が決起。ただこの乱は陶侃と庾亮がタッグを組み、一瞬で鎮圧します。庾亮さんにもさすがに学習の跡が見て取れます。


 ところでこの年、前趙残存勢力の指導者として石虎に滅ぼされたのが劉胤で、郭黙を決起にまで追い込んだ東晋の官吏も劉胤なのですが、このあたりにまともなフォローもなく話が進み、地獄です。もうちょっとどうにかならんかったんかいな。

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