表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇一月】二八〇年〇三月~三〇九年〇七月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/18

【4日】283年01月~283年11月

【283年01月~283年11月】

資治通鑑原文1288文字(286/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/1-司馬炎-1/11

 1/1-司馬衷-1/29

 1/1-劉淵-2/2

 慕容廆-2/26

・準メインキャスト

 1/1-孫皓▲

 1/1-司馬倫-1/23

 1/1-張華-1/22

 1/1-杜預-1/6


【できごと】


弟の死! 武帝は何を思う


 この年、武帝の弟である斉王司馬攸が死亡しました。

 ここでこの人物について紹介しておきましょう。才覚に溢れ、人々より慕われ、一時期は武帝と皇太子の座を争ったほど。その上で武帝の伯父、司馬師に男子がいなかったため司馬師の養子となってその家督を継ぎました。つまりどういうことか。晋では武帝の天下統一が強調されますが、実のところ内情を見るとその輿望は割と武帝と司馬攸で割れていたのです。本人たちの関係はともかく、その状態でその臣下らが「我が主こそ至高」と言わないはずがありません。実際、武帝即位後、皇太子の司馬衷ではなく改めて司馬攸を皇太弟につけるべき、という議論すら起こったほどです。この状態を武帝、はともかく、楊駿らがどのように見たことでしょうか。なので司馬攸は半ば追放のような形ではるか東方の封爵地、斉国に出向させられることに。しかし出発後間もなくして、病死。武帝は悲しみましたが、臣下の一人は「これで後顧の憂いがなくなりましたな」と祝福したそうです。


 この年は、他にも孫皓が死亡しています。孫皓と言えば降伏後傲然とした態度を武帝に対しても貫いていましたが、こうして降伏後間もなく死亡したことを思うと、内心では相当なプレッシャーと戦っていたのかもしれません。もっとも資治通鑑は孫皓について「死亡しました」で話を終えてしまい、すぐさま目線を外部の鮮卑慕容部に転じます。もはや扱いが慕容部のおまけです。


 その慕容部では、内紛が勃発。大人、即ち部民の長であった慕容渉帰が死亡すると、その弟が大人位を簒奪しました。もともとは慕容渉帰の息子である慕容廆が大人位を継ぐはずであったのに、です。リーダーの地位は、どの集団でもどうしても血が混じりますね。ただしこの内紛に対する詳細は載りません。もっと史料が欲しいような、妄想の余地がはかどると言いたくなるような、複雑な気分です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ