表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇二月】三〇九年〇八月~三三六年〇五月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

48/80

【16日 323年11月】王敦死亡! 温嶠の巧みさ

【323年11月】

資治通鑑原文4377文字(85/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/4-慕容廆-2/26

 1/26-王導-3/5

 1/27-石勒-2/26

 2/3-石虎-3/14

 2/13-郭璞▲

・準メインキャスト

 1/21-王敦▲

 1/25-李雄-2/27

 1/25-陶侃-2/27

 1/26-劉曜-2/22

 2/8-司馬紹-2/18

 2/10-李寿-3/9

 2/11-蘇峻-2/21

 2/12-張駿-3/12

 2/14-慕容皝-3/14

 2/14-拓跋什翼犍-4/13



【あらまし】


 再決起した王敦でしたが、病に倒れ、死亡。残党はたちまち蘇峻らの活躍により鎮圧されました。また涼では前涼の最盛期を築いた張駿が立ち、成では李雄が自分の子を差し置いて兄の子である李班を後継者に指名して火種を作ったりと、次の時代の布石が撒かれます。



【できごと】


 王敦、簒奪どころか、気づけばまた追い詰められています。かくなる上は再決起しかない! と意気込みますが、その成否を郭璞に占わせたところ「無理ですね」と一刀両断。王敦は怒り、郭璞を殺しました。


 中央には多くの難物がいますが、その中でも王敦が警戒していたのが、温嶠でした。そこで温嶠を自分のもとに送り込むよう要求します。手元で監視し、何かあったら即殺そう、というわけですね。しかし温嶠、到着したそばから王敦の配下将らをヨイショしまくります。あなたたちなら中央の奴らなんて物の数じゃないですよ! とでも言ったのでしょうか。しかも恐ろしいのが、これが士気向上には繋がらず、むしろ中央への侮りの空気ばかりが広がった、ということ。さらに温嶠は逆に王敦軍よりの信頼を得、その内情をつぶさに調べ上げた上で、「王敦の推挙により」建康に戻ります。わけがわからないよ。


 これで王敦軍の軍容を把握した明帝は、ついに堂々と王敦との対決を表明。王敦は激怒、建康にまで攻めかかりましたが後の祭り、途中で病に冒され、死亡します。残された者たちは蘇峻らの率いる精鋭軍によってあっという間に制圧されましたが、「王敦に騙されただけ」と、ほぼ罪は問われませんでした。


 この頃石勒は多方面作戦を展開、慕容部とは不明ですが、前趙や東晋と戦っています。劉曜には特に動きなし。涼州の張茂が死亡したため弔問と王号を追贈した、くらいです。その涼州で新たな主として立った張駿は、ここから涼の最盛期を築きます。一方成では、李雄が尊敬していた兄の子、李班を後継者としました。自分に息子がいたにも関わらずです。この決定に周囲は大反対しましたが、聞き入れることはありませんでした。


 ちなみに、ここでひとつ、甥を後継者としたふたりの比較をしておきましょう。張茂には子がいませんでした。しかし李雄にはいました。この対比を踏まえて、では、このあと成はどうなるでしょうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ