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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇二月】三〇九年〇八月~三三六年〇五月

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46/80

【14日 321年12月】王敦、牙をむく! 建康擾乱!

【321年12月~322年10月】

資治通鑑原文6885文字(28/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/4-慕容廆-2/26

 1/26-王導-3/5

 1/27-石勒-2/26

 2/3-石虎-3/14

 2/13-郭璞-2/17

・準メインキャスト

 1/21-王敦-2/16

 1/25-李雄-2/27

 1/25-陶侃-2/27

 1/26-劉曜-2/22

 1/26-司馬睿-2/15

 2/8-司馬紹-2/18

 2/10-李寿-3/9

 2/11-蘇峻-2/21

 2/12-張駿-3/12

 慕容皝-3/14

 拓跋什翼犍-4/13



【あらまし】


 この年、王敦の挙兵にあわせて石勒が東晋北辺に襲撃を掛けています。他にも拓跋部が大人位を巡って盛大な内輪もめをしたり、劉曜が病気になったそばから反乱をくらったりと大忙し。そうした中東晋は慕容廆に遼東公の爵位を送り、なんとか外交的優位を築こうともしていました。



【できごと】


 王敦、挙兵。ただしその名目は「陛下を惑わせた君側の奸を取り除く」でした。よくある決り文句で、皇帝は正しいけど臣下が誤った、ということにしておこう、というわけですね。なおこの時、王敦の下に郭璞が参画しています。


 王敦の決起は東晋を大いに揺さぶりました。多くのものが朝廷と王敦のどちらにつくべきか迷い日和見したり、殺されたりしています。このため王敦はろくな妨害も受けずに建康に迫ります。追い詰められた元帝は王敦が前線基地として駐屯した建康城北西の出城、石頭城に使者を派遣しました。こうして王敦が君側の奸として糾弾した、元帝直属の臣下らが誅殺されます。この中のひとりが、ほかならぬ周顗でした。王導は自身のふるまいが親友の周顗を死に追いやってしまったのだ、と悲嘆に暮れています。


 祖逖が死んでただでさえ防衛力ががた落ちとなったところで、さらに王敦までもが乱を起こしてくれるのです。これはもう、石勒にとって好都合にもほどがある展開と言えました。石勒からの圧力は更に厳しくなってきます。これに対抗するため晋は慕容廆に遼東公の爵位を授けました。臣従というていをなした同盟です。またここで、その息子の慕容皝が世子に任じられました。


 そのお隣、拓跋部では、惟氏が自身の息子を強引に大人につけ、そのライバルともなりうる子どもたちを殺して回ります。このとき、のちに代を牽引することになる拓跋什翼犍も標的となりましたが、母親の服の中で眠っていたため難を逃れました。ちなみに拓跋什翼犍は拓跋珪の祖父です。ここで拓跋什翼犍が泣いてしまっていたら、と思うとすさまじいですね。


 拓跋部が内紛を起こすと、劉曜としては一安心です。そこで仇池に攻撃を仕掛けて追い込みましたが、出征のさなか劉曜が疫病にかかってしまい、中断。しかもこのタイミングで陳安という武将が謁見を求めてきたところ、病を理由に求めを退ければ、こんどは陳安が激怒し謀反しました。劉曜、なんというか、踏んだり蹴ったりです。

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