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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇二月】三〇九年〇八月~三三六年〇五月

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44/82

【12日 320年01月】マージナルな男! 祖逖、勇躍!

【320年01月~320年11月】

資治通鑑原文4095文字(96/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/4-慕容廆-2/26

 1/26-王導-3/5

 1/27-石勒-2/26

 2/3-石虎-3/14

・準メインキャスト

 1/21-王敦-2/16

 1/25-李雄-2/27

 1/25-陶侃-2/27

 1/26-劉曜-2/22

 1/26-司馬睿-2/15

 2/8-司馬紹-2/18

 2/10-李寿-3/9

 2/11-蘇峻-2/21

 張駿-3/12



【できごと】


 両趙と東晋、周辺に涼、成、拓跋、慕容。だいぶ西晋崩壊後の情勢が整ってきました。このタイミングで存在感を目立たせるのが、後趙と東晋の間にいる祖逖と、塢主たちです。祖逖の強さは本物であり、石勒がこの段階で劉曜との決戦に臨めずにいたのも、祖逖の南からの押し上げがあったればこそ。一方で両名は認め合ってもおり、敵対しながら通交は禁じないなど、複雑な関係性を築いてもいました。なおこうした戦乱の真っ只中では、洛陽はもはや図体の大きな窓にしかなりません。ある者は趙に、ある者は祖逖らのもとに流れ、街も空虚となったそうです。


 さて、この関係性に助けられたのが劉曜です。ひとまず東に急を要さずに済んだため、関中で起こった民族反乱の鎮圧に労力を割くことがかなっています。なおこの頃のタイミングで、のちの前秦につながる蒲洪、および後秦につながる姚弋仲が劉曜の旗下に加わっています。なお劉曜もまた贅沢好みを始め、臣下に諫言を食らって激怒して諫言者を幽閉、さらにまわりから諌められて釈放という、劉聡と同じループにハマっています。懐帝愍帝の呪いでしょうか。


 この頃、涼州では統治を開始したはずの張寔が早速殺されました。早すぎる。しかしすぐに下手人を張寔の弟、張茂が捕縛、処断。張寔の嫡子である張駿がまだ幼かったことから、張茂が涼州統治を代行しました。統治者に恵まれすぎている。


 では、この当時の東晋はどうだったでしょうか。東晋の建立はふたりの王があったればこそ。東晋建立まわりで言われる有名な言葉、「王と馬、天下を共とす」は、このタイミングで紹介されています。しかしこれ王が先なんですね、やべえ。というわけで王導、王敦がどんどん幅を利かせるようになったため、元帝は恵帝の二の舞になりかねないことに怯え始めました。そこで王導らを冷遇し始めます。すると王導は「やっちまった!」とばかりになんとか権勢のレールから降りようとする振る舞いをするのですが、王敦は態度をむしろ硬化。いよいよ元帝からの下命を拒否し始めます。そして周辺の警戒をよそに武力持てる人材も集め始めます。早くも東晋側に、不吉な気配が漂い始めました。

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