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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇二月】三〇九年〇八月~三三六年〇五月

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41/81

【9日 317年03月】愍帝殺害! 王は嘆く

【317年03月~318年01月】

資治通鑑原文3673文字(109/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/4-慕容廆-2/26

 1/12-劉琨-2/10

 1/26-王導-3/5

 1/27-石勒-2/26

 2/3-石虎-3/14

・準メインキャスト

 1/21-王敦-2/16

 1/25-李雄-2/27

 1/25-陶侃-2/27

 1/26-劉聡-2/10

 1/26-劉曜-2/22

 1/26-司馬睿-2/15

 2/3-司馬鄴▲

 2/8-司馬紹-2/18



【できごと】


 長安の陥落が建業にしらされます。司馬睿は喪服にて嘆き、もと琅邪王であったところ、改めて晋王を名乗りました。結果だけで書くとひとの心がなさすぎてすごい。


 晋の皇帝が連れ去られた。ならば天子の不在は許されません。なので仮にでもその代行者は立てねばならない、そういうロジックではあるのです。ただそれは、結局司馬睿が長安にまともに救援を送らなかった、という結果に塗りつぶされます。思いがどうであったかともかく、全ては結果で語られざるを得ないのです。


 そして、その愍帝は平陽に連れ出され、懐帝と同じように側仕えのような扱いを受けた末、殺されます。懐帝はそれでもしばらく一応厚遇されていましたが、愍帝はほぼ一瞬です。これはもう、劉聡の自制心が終わっていた、と言ってしまうべきなのでしょう。


 こうして天下が緩んでいる中、蜀の西の彼方、青海地方と呼ばれる地で、なぜかひとりの慕容部人が死亡します。彼の名は慕容吐谷渾。慕容廆の庶兄で、慕容廆と対立するも、血で血を洗う戦いを望まなかったため慕容部より出奔、この遙か遠方の地にたどり着きました。吐谷渾自身は本当にただの旅人という感じなのですが、子孫らが慕容吐谷渾の業績をたたえ、吐谷渾を名乗る国を立ち上げます。この国はなんと、唐代中頃まで続く超長寿国となりました。ちなみに慕容吐谷渾がどういうルートで青海地方まで至ったのかはよくわかりません。


 ここで、劉琨に目を向けましょう。主であった愍帝も殺され、自身も石勒に追い詰められた。段部と結び継戦の意思は引き続き抱いていますが、その情勢はあまりにも極限的。そこで副官の温嶠に一通の手紙をもたせました。それは江南の司馬睿に帝位に就くよう求める、いわゆる勧進表でした。司馬睿はいったんこの勧進を退けこそしますが、ここで改めて天下に向けて檄を飛ばします。その内容は「石勒みたいなクソ野郎マジでぶっ潰したいので祖逖を応援してくれ、な!」という感じでした。きみ祖逖のことそんなに支援してたっけ?


 ともあれ、いよいよ東晋五胡十六国という枠が確立されつつあります。これはもう、漢までのひとが拠り所としていた規範に、一旦リセットがかけられた、というべきなのかもしれません。


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