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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇二月】三〇九年〇八月~三三六年〇五月

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39/81

【7日 315年04月】長安逼塞! 南北の不協

【315年04月~316年02月】

資治通鑑原文3462文字(122/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/4-慕容廆-2/26

 1/12-劉琨-2/10

 1/26-王導-3/5

 1/27-石勒-2/26

 1/17-拓跋猗盧-2/8

 2/3-石虎-3/14

・準メインキャスト

 1/21-王敦-2/16

 1/25-李雄-2/27

 1/25-陶侃-2/27

 1/26-劉聡-2/10

 1/26-劉曜-2/22

 1/26-司馬睿-2/15

 2/3-司馬鄴-2/9



【できごと】


 この年、襄陽の北の城、宛が杜弢の軍に囲まれました。この包囲網を一人の少女が突破、城主である父親を救出しています。少女の名は、荀灌。田中芳樹氏が発表した「宛城の少女」の主人公です。


 陶侃は硬軟を織り交ぜた手腕でなんとか杜弢の討伐にこそ成功したのですが、引き続き、その残党に手を焼かされます。そうすると、こうした労苦をひとつの奇貨と見るものがいるのです。そう、王敦。陶侃の軍才もあって平定に近づいた荊州周辺の利権を独占せんと、陶侃を南方の彼方、広州に左遷しました。こんな訳のわからない辞令が通ってしまうあたりに、王敦と王導の権力の大きさを感じます。なお陶侃は赴任したそばからあっという間に広州周辺の動乱を平定、平和にしてしまい、戦がなくなると、勘が鈍らないよう自主トレに励んだそうです。器が違いすぎる。


 こうした中、長安の陥落のときがじわじわと迫ります。劉曜に囲まれ、まともに食料も確保できない状態。西方に援軍を求めても叶いません。なおこのとき西方には司馬越の甥である司馬保が勢力を築いていました。しかも長安の危機を良いことに独立を目論んでいたりもしたそうです。


 しかし、そうした劉曜の兵力の大本であるはずの劉聡は、その放埒をさらに加速するのです。大方のことは息子の劉粲に投げ、重要な判断は自分で行うという立て付けでしたが、大臣らと劉聡の間に挟まる宦官らが伝言係の役割を悪用、好き勝手に政を操り始めます。こうした宦官の害を訴えたものはみな、殺されました。

 さらに劉聡は石勒に陝東伯という爵位を送っています。官吏の任免権も授けましたから、よく言えば全権委任ですけど、ようは丸投げです。劉曜が長安ひとつに手を焼かされ続けている中、石勒はどんどん体制を強化しているわけで、こうしてみると劉曜にとってもわりと劉聡は疫病神ですね。


 北と、南。どこを見ても、まるで長安を重んじる気配がありません。ここで資治通鑑はあまり詳しく書きませんが、十八史略などでは愍帝よりの救援要請を、司馬睿が幾度となく蹴ったと書かれています。西晋の滅亡は、司馬睿も間接的な犯人だ、と訴えたいようです。

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