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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇二月】三〇九年〇八月~三三六年〇五月

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38/80

【6日 314年05月】涼州、世代交代! 奇跡の統治

【314年05月~315年03月】

資治通鑑原文2248文字(199/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/4-慕容廆-2/26

 1/12-劉琨-2/10

 1/26-王導-3/5

 1/27-石勒-2/26

 1/17-拓跋猗盧-2/8

 2/3-石虎-3/14

・準メインキャスト

 1/21-王敦-2/16

 1/23-張軌▲

 1/25-李雄-2/27

 1/25-陶侃-2/27

 1/26-劉聡-2/10

 1/26-劉曜-2/22

 1/26-司馬睿-2/15

 2/3-司馬鄴-2/9



【できごと】


 中原が騒がしくしている頃、涼州を守っていた張軌が死亡しました。代わって長子の張寔が涼州刺史の地位を継ぎます。統治の世襲をしている時点でもはやほとんど独立勢力のようなものですが、とは言えそれを咎められるほどいまの晋は強くもありませんので仕方がありません。長安の愍帝は引き続き匈奴漢に圧されている状態。一部戦線では匈奴漢軍を跳ね返したりもしていますが、その大勢は終端までの緩やかな下り坂でした。とは言えその匈奴漢もまた劉聡の乱政淫行が大きく取り沙汰され、その先行きの怪しさがこれでもかと強調されます。ついでにいうと必要以上に怪異が盛られているのも、この頃の劉聡政権の状況です。その語り口には「こんなやつら滅びて当然だ」という怨念がべったりしみついている印象です。


 この頃、東で石勒は戸籍体勢を整えていよいよ国家運営を本格的とし、北で拓跋猗盧はそのきわめて厳格な統治により匈奴漢に対しての圧力をふたたび強めていました。愍帝政権としてはこれ以上なく心強い援軍です。このためこのタイミングで拓跋猗盧を代王に封じました。この代という封爵地は後々も拓跋氏にとっては重要な封爵地となり、のちに拓跋珪が国号を魏と改めても代の国号も併用されていたそうです。中華圏進出としてのきわめて重大な一歩であった、と言えるでしょう。


 引き続き江南政権は、愍帝政権を支援している暇がありません。杜弢も暴れていたのに加え、さらには斉万年の乱で悲劇的な散り方をした周処の孫、周勰が決起しました。これは司馬睿政権が地元の者たちを抑えこみ流寓者で政権運営をなした事による不満の爆発でしたが、しかし脅威の寝業師・王導が周氏一門を離間させ、その勢力を無力化させ鎮圧しました。ただしここでとんでもないのが、他ならぬ首謀者であるはずの周勰については決起の罪を問いませんでした。なんでしょうか、このアメとムチぶりが異常です。


 各地の情勢が、緩やかですが固まり始めました。ただしどこも気は抜けない、はずです。なのにここで劉聡が皇后を同時に三人立てました。わけがわかりません。マジで何やってんだこいつ。

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