【4日 312年06月】懐帝殺害! 止まらぬ匈奴漢
【312年06月~313年04月】
資治通鑑原文6695文字(29/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
1/4-慕容廆-2/26
1/12-劉琨-2/10
1/26-王導-3/5
1/27-石勒-2/26
1/17-拓跋猗盧-2/8
2/3-石虎-3/14
・準メインキャスト
1/11-司馬熾▲
1/21-王敦-2/16
1/23-張軌-2/6
1/25-李雄-2/27
1/25-陶侃-2/27
1/26-劉聡-2/10
1/26-劉曜-2/22
1/26-司馬睿-2/15
2/3-司馬鄴-2/9
【できごと】
洛陽を落として我が天下と思ったか、あるいは以降もまるで油断できない情勢に嫌気が差したのか。劉聡周りで語られることが放蕩、荒淫に傾きます。さらには、暴虐。晋陽に連行して、一応礼遇するつもりでいた懐帝でしたが、この頃懐帝を旗印に決起しようとする勢力が集まりました。その企みを潰すと、懐帝に傘持ち、給仕係といった役割を担わせて辱めたうえ、殺害しました。このニュースを受けて長安の司馬鄴が帝位につきますが、目前に劉曜が迫る、江南からの救援も望めない。完全に詰み盤面です。
とはいえ匈奴漢は匈奴漢で追い詰められつつありました。一応臣下扱いの石勒がほぼアンコントローラブル。さりとて討伐できる余力もありません。また北東では、慕容廆が亡命漢人を積極的に運営に取り込み、国としての形を作り上げます。更に北では拓跋猗盧が劉琨との紐帯を確かなものとして南下、匈奴漢軍に大きな損害を与えています。国としての伸びしろがほとんどない、どころか、いつ決壊してもおかしくない状態です。
もちろん、石勒も余裕といえるほどではありませんでした。北上にあたっては飢餓に苦しめられ、黄河の渡河も苦戦するありさま。それでも何とか鄴の北、襄国に腰を落ち着け、この地を拠点とします。そこは劉琨、王浚、鮮卑段部を真正面きって睨みつけられる場所。この頃劉琨も戦いに倦み始めて音曲を楽しむようになり、王浚らは中央から流れて来る人材もまともに囲えずいたずらに後背の慕容を太らせるありさま。強敵には違いありませんが、修羅場のただ中にいる石勒にとっては、まだ江南の疫病よりも対峙しやすい、と判断したのでしょう。まずは段部を相手取り、主要人物を離間させ、その勢力を削ぎます。これにより間接的に王浚の勢力を削減することにも成功します。し手腕! またこのタイミングで、出会い頭的な勢いであの祁弘を討ち取ることにも成功しています。こ幸運!
ところで石勒が撤退した南方はひと息つけたのでしょうか。無理でした。巴蜀の動乱から逃れてきていた流民たちをまとめていた人物、杜弢が決起しています。これは最終的に、東晋建国前の最大規模の乱にまで膨れ上がります。
完全な、乱世の突入です。もはや各地で、血の奔流が止まりません。




