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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇二月】三〇九年〇八月~三三六年〇五月

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35/84

【3日 311年06月】燃える洛陽! 王弥は怒る

【311年06月~312年05月】

資治通鑑原文5815文字(47/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/4-慕容廆-2/26

 1/12-劉琨-2/10

 1/26-王導-3/5

 1/27-石勒-2/26

 1/17-拓跋猗盧-2/8

 石虎-3/14

・準メインキャスト

 1/11-司馬熾-2/4

 1/21-王敦-2/16

 1/23-張軌-2/6

 1/25-李雄-2/27

 1/25-陶侃-2/27

 1/26-劉聡-2/10

 1/26-劉曜-2/22

 1/26-司馬睿-2/15

 司馬鄴-2/9



【できごと】


 たびたび匈奴漢軍の猛攻を退けてきた洛陽城が、ついに陥落しました。この城にはじめに突入を果たしたのは、劉曜。伝統の有無など構わず、洛陽を焼き払います。次いで突入した王弥は、この有様を見て、怒りに震えました。「所詮胡人に帝業は理解できぬのだ!」――なお以前も紹介したことですが、王弥は漢人で、劉淵と洛陽で学びあった仲でもありました。その劉淵の縁者がよりにもよって、というわけです。以降王弥は東方に引き返し、独立勢力的に動き始めます。


 この事態を受け懐帝は洛陽を脱出、長安に赴こうとしましたが、途中で捕まり、劉聡のもとに引っ立てられました。なおこの段階では、一応晋の貴人として重んじられます。またこのとき、洛陽守備に活躍した北宮純も降伏しました。


 洛陽は天下のへそ、各地に向かう、その要。ここを寸断されたことにより、晋は長安、江南、そして劉琨に切り分けられました。状況を紹介するにあたり、王浚はむしろこうした事態を独立のチャンスと見ていたようですので除外。

 まず劉琨は洛陽に救援に向かえるはずもありませんので、なんとか自前で勢力を構築しなければなりません。ここで自軍に捕虜として抱えていた石勒の母や親族の子たる石虎を石勒に返還、共闘を望みましたが、断られました。

 長安は恵帝や懐帝の甥に当たる司馬鄴を推戴しました。のちの愍帝です。

 そして江南には、この頃西晋ゆかりの官僚たちが多く流れ着いてきていました。石勒による司馬越残党撃滅は、思ったほどの徹底ぶりではなかったのだろう、と言うのがここでも伺えます。王導はこうした人材を取りまとめ、改めて国体運営を決意します。王導です、司馬睿ではなく。


 一方、襄陽を中心に勢力基盤を築いていた石勒ではありましたが、なにせもともと活動していた華北とは環境が違いすぎた。このため兵士たちが次々と疫病に倒れました。この状況に苦悶していると、張賓から「南方攻略は無理でしょう」と言われ、ついに鄴に戻ることを決断します。そしてこの道すがらさんざん苦しめられた苟晞を捕らえて殺し、さらには王弥を酒宴に招いて酔い潰して殺しました。し手腕!


 ここからの華北のあらましについてまとめれば、それは、実質後趙建国伝説である、と言ってしまえるのでしょう。

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