【1日 309年08月】北宮純奮戦! 間際のきらめき
【309年08月~310年06月】
資治通鑑原文1471文字(271/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
1/1-劉淵-2/2
1/4-慕容廆-2/26
1/12-劉琨-2/10
1/17-拓跋猗盧-2/8
1/26-王導-3/5
1/27-石勒-2/26
・準メインキャスト
1/11-司馬熾-2/4
1/21-王敦-2/16
1/23-張軌-2/6
1/13-司馬越-2/2
1/25-李雄-2/27
1/25-陶侃-2/27
1/26-劉聡-2/10
1/26-劉曜-2/22
1/26-司馬睿-2/15
【1日】309年08月~310年06月
【できごと】
北宮純奮戦! 間際のきらめき
この頃にもなると、匈奴漢には次々と周辺勢力が帰属していました。こうした中には五胡十六国時代の後半でそのドス黒い存在感を示している、あの赫連勃勃の曽祖父、劉虎もいました。こうして勢力を充実させた劉淵は洛陽への総攻撃を仕掛けます。前回の洛陽攻めがほぼ王弥単体の攻めであったため、それを反省した形です。しかし、ここでもやはり北宮純が活躍。攻めあぐねる洛陽攻撃の総大将、劉聡は洛陽南東にある霊山、嵩山に登り祈祷をしました。神頼みです。しかしながら北宮純らの強襲作戦により、むしろ主要将の損失を蒙ります。この結果に劉淵は再三の撤退命令を下します。劉聡は渋りましたが、王弥からも説得があり、ついに撤兵を決定しまた。
なおこの戦いに、石勒は参加していません。国を構築しようと思ったら、王浚より送り込まれた猛将、祁弘の襲撃を受け、再び壊滅していたのです。石勒はほうほうのていで逃げ出しますが、ここでも再び逃げながら勢力拡大。本当、このひとのしぶとさはいったい何なんでしょう。こういうのを見ていると、石勒の虐殺系の話はだいぶ眉に唾をつけて見ておかないと怖そうです。
晋は蜀でも成漢将を撃破したりと、この年はなかなかの戦果を挙げられています。とはいえ李雄によりすぐに逆襲を受け、大敗。その影響力がさらに減退しています。こうした中、司馬越は王敦を建鄴に派遣、江南との連携強化を図りました。ただし江南に向かう途上の道のりには洛陽から撤兵した王弥がおり、さらには王弥の配下将である曹嶷が半独立勢力として琅邪を中心とした地域に襲撃を加えており、その連携も安定を望めるものではありません。建鄴では司馬睿が着々と勢力固めを進めていますが、とはいえ江南でも反乱が頻繁に生じていたため、洛陽への援軍まで手が回らない状況でした。
資治通鑑は、こうした事態を列挙し続た、その末尾近くではまた改めて大飢饉が発生した、と記述しています。この時期の戦乱の数々はだいたい晋や匈奴漢の失政として語られていますが、現代のあれこれを考えると、この時期に為政者になったひとたちって、もう罰ゲーム、としかいいようがないな、と思ってしまいます。




