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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇一月】二八〇年〇三月~三〇九年〇七月

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32/80

【31日】308年08月~309年07月

【308年08月~309年07月】

資治通鑑原文2135文字(215/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/1-劉淵-2/2

 1/4-慕容廆-2/26

 1/12-劉琨-2/10

 1/17-拓跋猗盧-2/8

 1/26-王導-3/5

 1/27-石勒-2/26

・準メインキャスト

 1/11-司馬熾-2/4

 1/13-司馬越-2/2

 1/21-王敦-2/16

 1/23-張軌-2/6

 1/25-李雄-2/27

 1/25-陶侃-2/27

 1/26-劉聡-2/10

 1/26-劉曜-2/22

 1/27-司馬睿-2/15


【できごと】


守る晋の紛糾! 龍は帝位に


 北宮純の活躍もあり、洛陽を落とせないままでいる漢軍の将は、王弥でした。国体を弱らせきれていないと判断したか、石勒と合流し、矛先を鄴周辺に切り替えます。その隙を突いて司馬越が洛陽に戻りました。この移動は宮中人事の鉈入れのためでした。肩を落として宮中を後にしたり、ひどいものに至っては殺されすらしていた士人らを見て、才気及び血気盛んな懐帝が何を思ったことでしょうか。


 ここで、劉淵が皇帝即位を宣言します。この段階で晋は、ぱっと見洛陽に逼塞、劉琨も漢軍によって洛陽から孤立している状態でしたから、ほぼ勝ちを見た、と認識していたのかもしれません。一方で劉淵が、その迫る寿命に焦っていたのかもしれませんが。


 こうした情勢に抗うように、劉琨は各地で匈奴漢軍と勝敗をあいなかばしています。というのも劉琨は鮮卑段部とも親交を結んでいたため、決して孤立していたわけでもなかったのです。段部にしても、劉琨はやはり匈奴漢に対する重要な城壁。利害は一致していました。


 とはいえ、匈奴漢のメインターゲットは、あくまで洛陽。晋からの投降者が情勢不安定を暴露し、今が攻めどきだ、と勧めます。これに応じた劉淵は滅晋大将軍の劉景を派遣。すごい官名です。劉景はこの官名に恥じない大虐殺を延津で繰り広げました。びっくりしたのは劉淵です。「滅ぼすのは国であって民じゃねーから!」と激怒、劉景を降格しました。つけた官位が悪い。


 こうした状況に連動するように、荊州では劉弘が死亡。後任の総督は荊州情勢を悪化させました。一方で蜀の李雄は天府の地に着々と統治体制を固めていました。この状況であれば、多くの人士が中央から辺地を目指したことでしょう。


 同時期、石勒は鄴を中心とした地域にいた才人らを招集しました。ここで石勒は、その右腕として名高い張賓を獲得、いよいよ本格的な国体運営の構築に乗り出します。加速度的に崩壊する中央をよそに、各地に着々と群雄割拠のための仕込みが進んでいくのです。

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