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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇一月】二八〇年〇三月~三〇九年〇七月

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31/87

【30日】307年09月~308年07月

【307年09月~308年07月】

資治通鑑原文2640文字(168/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/1-劉淵-2/2

 1/4-慕容廆-2/26

 1/12-劉琨-2/10

 1/17-拓跋猗盧-2/8

 1/26-王導-3/5

 1/27-石勒-2/26

・準メインキャスト

 1/11-司馬熾-2/4

 1/13-司馬越-2/2

 1/21-王敦-2/16

 1/23-張軌-2/6

 1/25-李雄-2/27

 1/25-陶侃-2/27

 1/26-劉聡-2/10

 1/26-劉曜-2/22

 1/27-司馬睿-2/15



【できごと】


司馬睿、江南に! 東晋の萌芽


 八王の乱がにぎにぎしかった頃、穎に睨まれていた宗族の一人、司馬睿は監視の手を逃れつつ自身の封地である琅邪に脱出、そこから王導の勧めを受け、長江を渡り、建鄴に到達します。この地にいるのは晋が滅ぼした呉の旧臣たちでしたが、その中心人物であった顧栄と賀循を引き込み、瞬く間に呉の人心を収攬しました。何やったんだ王導。


 中原で肩身を狭くしつつあった越は石勒と対峙します。ここで越が派出した将軍の名は、苟晞。先に越が長安奪取に派出した祁弘と並び、西晋末期で五胡諸勢力にもっとも恐れられていた将です。ここでも苟晞は石勒をほぼ壊滅レベルにまで追い込みました。石勒はほうほうの体で脱出、しかしながら各地で諸勢力を吸収していきます。石勒はどのタイミングでもそうですが、負けた後のほうが恐いです。そして劉淵に接近。すると劉淵より輔漢将軍・平晋王という官位を授けられました。この官位は劉淵が石勒を「晋滅殺の最先鋒」と見なしていた、として良いのでしょう。また東方で決起していた王弥については祁弘が撃滅。王弥もまた劉淵の元に駆け込みました。


 それにしても越は厄年だったのでしょうか、ここで苟晞の慰撫にも失敗します。苟晞を東方、つまり、もと王弥が闊歩していたあたりに配したのです。見かけは昇進、実質は左遷。このため苟晞は越より離反し、懐帝に近付きます。


 北では慕容廆が鮮卑大単于を自称、拓跋禄官から拓跋猗盧に代替わりした拓跋部と連携を取ります。西では張軌が病に倒れ政情不安に陥りかけますが、なんとか持ち直します。また中央の情勢を危ぶんだ張軌は、ここで涼州きっての名将である北宮純を洛陽の援軍として派遣しました。この年より劉淵はその攻勢を本格的なものとしますが、その多くをこの北宮純が跳ね返しています。


 中央の戦乱が加速していく中、晋には祁弘、苟晞、北宮純。対する匈奴漢には劉聡、劉曜、石勒、そして王弥。きら星のような名将たちが、その火花を散らしています。

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