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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇一月】二八〇年〇三月~三〇九年〇七月

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30/82

【29日】306年09月~307年08月

【306年09月~307年08月】

資治通鑑原文2486文字(179/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/1-司馬衷▲

 1/1-劉淵-2/2

 1/12-劉琨-2/10

 1/4-慕容廆-2/26

 1/17-拓跋猗盧-2/8

 1/26-王導-3/5

 1/27-石勒-2/26

・準メインキャスト

 1/11-司馬熾-2/4

 1/13-司馬越-2/2

 1/21-王敦-2/16

 1/23-張軌-2/6

 1/25-李雄-2/27

 1/25-陶侃-2/27

 1/26-劉聡-2/10

 1/27-司馬睿-2/15

・八王

 ×亮×瑋×倫×冏×乂×穎×顒越


【できごと】


恵帝崩御! 蒙塵の末に


 この数年で鄴や長安へと引っ張り回され、ようやく洛陽に帰還した恵帝が「餅に中って」崩御しました。事実かどうかはわかりません。ただ、これがあまりにも急であったため、顒によって強制的に皇太弟に立たされていた司馬熾が皇帝に即位させられました。懐帝です。


 越はこのとき自身の弟らに周辺を固めさせ始めていました。司馬騰を鄴に、もうひとりの弟である司馬模を長安に。なお恵帝崩御に先立って穎が越の配下に捕まって殺され、崩御後には顒が越に三公というエサに釣られて殺されました。ここに八王の乱は決着を見ますが、ご承知のとおり事態はすでに八王どころではありません。さらに言えば懐帝は越に反感を抱いていたようですらありました。越は身を危ぶんだか、南東の許昌に脱出しました。


 越の兄弟に動きを合わせるように、劉琨が改めて上党、つまり劉淵勢力圏の東方最前線に布陣します。これは司馬騰にとっては匈奴漢との間に堅牢な城壁ができたようなものでした。しかし、残念ながら敵は城壁の中にいました。石勒です。司馬騰は石勒の主たる公師籓こそ討ち取ったのですが、戦乱うち続いて困窮した鄴の民をまともに慰撫するつもりもなく、恨みを買っていました。そこに石勒よりのリベンジを受けると、誰も司馬騰を守ろうとしません。司馬騰はたまらず逃げますが、道中で討ち取られました。


 ところで、ここで鄴の城が焼き払われ、大虐殺や略奪がおこったと書かれますこれについては、正直ポジショントーク的に話半分で聞いておいたほうがいいやつでしょう。ともあれこれで石勒は、晋にとっての大敵として狙われることになります。


 中央があまりにも忙しすぎる年でした。そうした中、荊州の陳敏はその傲慢さが祟り、鎮圧されています。しかし消える火あれば起こる火あり。東方で、一人の豺狼が吠え声を上げます。男の名は、王弥。もともと劉淵の学友でもあった、と言う背景も持つ人物です。彼は群盗として決起、青州各地を荒らし回りました。彼は更に、後々晋に対し、その凶暴な牙をむくことになります。

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