【27日】304年11月~305年09月
【304年11月~305年09月】
資治通鑑原文2006文字(227/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
1/1-司馬衷-1/29
1/1-劉淵-2/2
1/12-劉琨-2/10
1/4-慕容廆-2/26
1/17-拓跋猗盧-2/8
1/26-王導-3/5
石勒-2/26
・準メインキャスト
1/11-司馬熾-2/4
1/21-王敦-2/16
1/23-張軌-2/6
1/13-司馬越-2/2
1/25-李雄-2/27
1/25-陶侃-2/27
1/26-劉聡-2/10
1/26-劉曜-2/22
1/26-司馬睿-2/15
・八王
×亮×瑋×倫×冏×乂穎顒越
【できごと】
洛陽落日! 恵帝の長安拉致
段部と結ぶ王浚に後援が付きました。司馬騰。越の弟です。つまり越は東海に逃れるも、むしろ穎に対する包囲網を作ったわけです。満を持して王浚が鄴の穎を襲撃、穎は恵帝を引き連れ洛陽に逃げ落ちました。その洛陽では、顒の手のものが待ち受けます。洛陽では心許ないので長安に移るべき、としたのです。恵帝も泣く泣くではありますが、この申し出を受諾。穎らとともに長安入りしました。この流れで穎は面目丸つぶれです。皇太弟の座から引きずり降ろされ、かわりの皇太弟にはさらにその弟、司馬熾が即きました。のちの懐帝です。
劉淵の存在もあり、一気に情勢が変わりました。顒はここで越に対し和解の申し入れをしますが、越は許否。王浚の軍とともに長安に進みます。この王浚軍の将の名前は祁弘と言います。彼は西晋末期を彩る名将のひとりと呼んで良いでしょう。
では、劉淵はどうだったのか。実はこのとき一度司馬騰の手引きを受けた鮮卑拓跋部からの攻撃を受け、敗北しています。このため北方の勢力拡大は頓挫、南下していました。ここで漢の将軍の一人が晋への忠節を貫いて戦死した城主の屍を辱め、さらにはその妻を妾として囲い入れる、という事件が起きました。これを聞いた劉淵は激怒してその将軍を降格させ、敵将の亡骸、及びその妻を手厚くもてなしました。
ところで、穎は軍閥の親玉としてはなかなか魅力的だったようです。穎が皇太弟から引きずり降ろされたと聞くと、その決定に憤り、決起する軍勢がありました。公師籓と言います。そして、この軍勢に一人の英雄の卵がいました。石勒です。
このときすでにずば抜けた統率力を示していた石勒は、過去に司馬騰による人狩りに巻き込まれ、奴隷に身を落としていたことがありました。つまりこの挙兵は、石勒にとっては司馬騰に対する復讐を果たす絶好の機会ともなっています。
というわけで、これはあくまで置かれた状況からの推移、に過ぎないと前置きしますが、匈奴漢の王と、のちの後趙の王は、永嘉の乱よりも前に、すでに穎を共通点として、縁が結ばれていたのです。




