表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇一月】二八〇年〇三月~三〇九年〇七月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/80

【27日】304年11月~305年09月

【304年11月~305年09月】

資治通鑑原文2006文字(227/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/1-司馬衷-1/29

 1/1-劉淵-2/2

 1/12-劉琨-2/10

 1/4-慕容廆-2/26

 1/17-拓跋猗盧-2/8

 1/26-王導-3/5

 石勒-2/26

・準メインキャスト

 1/11-司馬熾-2/4

 1/21-王敦-2/16

 1/23-張軌-2/6

 1/13-司馬越-2/2

 1/25-李雄-2/27

 1/25-陶侃-2/27

 1/26-劉聡-2/10

 1/26-劉曜-2/22

 1/26-司馬睿-2/15

・八王

 ×亮×瑋×倫×冏×乂穎顒越



【できごと】


洛陽落日! 恵帝の長安拉致


 段部と結ぶ王浚に後援が付きました。司馬騰。越の弟です。つまり越は東海に逃れるも、むしろ穎に対する包囲網を作ったわけです。満を持して王浚が鄴の穎を襲撃、穎は恵帝を引き連れ洛陽に逃げ落ちました。その洛陽では、顒の手のものが待ち受けます。洛陽では心許ないので長安に移るべき、としたのです。恵帝も泣く泣くではありますが、この申し出を受諾。穎らとともに長安入りしました。この流れで穎は面目丸つぶれです。皇太弟の座から引きずり降ろされ、かわりの皇太弟にはさらにその弟、司馬熾が即きました。のちの懐帝です。


 劉淵の存在もあり、一気に情勢が変わりました。顒はここで越に対し和解の申し入れをしますが、越は許否。王浚の軍とともに長安に進みます。この王浚軍の将の名前は祁弘と言います。彼は西晋末期を彩る名将のひとりと呼んで良いでしょう。


 では、劉淵はどうだったのか。実はこのとき一度司馬騰の手引きを受けた鮮卑拓跋部からの攻撃を受け、敗北しています。このため北方の勢力拡大は頓挫、南下していました。ここで漢の将軍の一人が晋への忠節を貫いて戦死した城主の屍を辱め、さらにはその妻を妾として囲い入れる、という事件が起きました。これを聞いた劉淵は激怒してその将軍を降格させ、敵将の亡骸、及びその妻を手厚くもてなしました。


 ところで、穎は軍閥の親玉としてはなかなか魅力的だったようです。穎が皇太弟から引きずり降ろされたと聞くと、その決定に憤り、決起する軍勢がありました。公師籓と言います。そして、この軍勢に一人の英雄の卵がいました。石勒です。

 このときすでにずば抜けた統率力を示していた石勒は、過去に司馬騰による人狩りに巻き込まれ、奴隷に身を落としていたことがありました。つまりこの挙兵は、石勒にとっては司馬騰に対する復讐を果たす絶好の機会ともなっています。


 というわけで、これはあくまで置かれた状況からの推移、に過ぎないと前置きしますが、匈奴漢の王と、のちの後趙の王は、永嘉の乱よりも前に、すでに穎を共通点として、縁が結ばれていたのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ