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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇一月】二八〇年〇三月~三〇九年〇七月

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26/80

【25日】302年12月~303年10月

【302年12月~303年10月】

資治通鑑原文5253文字(60/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/1-司馬衷-1/29

 1/1-劉淵-2/2

 1/4-慕容廆-2/26

 1/12-陸機▲

 1/12-劉琨-2/10

・準メインキャスト

 1/11-司馬熾-2/4

 1/13-司馬越-2/2

 1/21-王敦-2/16

 1/23-張軌-2/6

 李雄-2/27

 陶侃-2/27

・八王

 ×亮×瑋×倫×冏乂穎顒越



【できごと】


折返し八王! 華亭の鶴が啼く


 倫を倒し実権を握ったはいいが、特に政を改善しようともしない冏。この怠慢ぶりに切れて、ということにもなりますが、恵帝の弟である乂と穎にしてみれば、倫と冏にほとんど違いなど感じなかったことでしょう。倫や冏は武帝の子孫ではありません。ならば武帝の血統など何するものぞ「と、倫や冏が思っていた」――と、乂や穎が疑ったとしても不思議ではありません。


 顒と穎の意向を受け、実際の戦端を開いたのが乂でした。封地であった常山より一気呵成に洛陽城に乗り込み、激闘を繰り広げ、冏を見事打ち取ります。これは顒や穎からの支援を大いに受けてのものであったようで、乂が開始した統治は常に両名の意見を諮問してのものとなりました。にもかかわらず、両名は乂体制の洛陽に攻め込みます。なにやってんだこいつら。


 これを受け、さすがの恵帝も切れました。両名を逆賊と見なし、乂を総大将とし、対抗。両軍を跳ね返しました。乂の統率力、と言うか大将としての信頼感が伺えますね。これに憤った穎は、洛陽討伐軍を率いさせていた陸機に全責任をかぶせ、処刑します。さらに弟の陸雲をはじめとした一族郎党まで。陸機は刑場にて、故郷たる華亭を思い起こし、「もう、あの鶴の鳴き声を聞くことはないのだ」と嘆じました。


 中央の戦乱が加速する中、地方でも戦局が動きます。北東部では宇文部が慕容廆を襲撃するも大敗。却って慕容廆の勢力拡大につなげてしまいました。蜀では李特が戦死するも、その甥に当たる李雄が勢力を継承、むしろその勢力はより精強なものとなりました。


 さらに蜀での動乱を受け、その山を挟んだ東、荊州でも張昌という男が決起します。この乱はしかし、すぐさま陶侃と言う人物に鎮圧されます。三國志末期の名勝負と言えば晋の羊祜と呉の陸抗の対峙ですが、陶侃はその羊祜の孫弟子に当たります。そしてもちろん羊祜と陶侃の間に挟まる人物、劉弘も、この時期の荊州統治を語るに当たって外せません。

 乱起こるとき、また英雄も頭角を現すことになるのです。これはもう、歴史の皮肉と言うしかありませんね。

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