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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇一月】二八〇年〇三月~三〇九年〇七月

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21/29

【20日】298年03月~299年01月

【298年03月~299年01月】

資治通鑑原文2185文字(209/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/1-司馬衷-1/29

 1/1-劉淵-2/2

 1/4-慕容廆-2/26

 1/12-陸機-1/25

 1/12-劉琨-2/10

 1/17-拓跋猗盧-2/8

・準メインキャスト

 1/1-司馬倫-1/23rか

 1/1-張華-1/22

 1/11-司馬熾-2/4

 1/11-賈南風-1/22

 1/13-司馬越-2/2

・八王

 ×亮×瑋乂穎倫冏顒越


【できごと】


張華の采配炸裂! しかし時既に遅し


 舞台は再び西方に。少し西方地理の整理をしておきましょう。西には二つの大きな盆地があります。長安のある関中盆地と、いわゆる蜀、四川盆地です。この二大盆地を行き来するルートは、雑に言ってふたつ。間にある小さな盆地、漢中盆地を経由するもの(ややこしいので当企画ではかんなかと読むことにします)。もう一つが武都、あるいは仇池と呼ばれる山岳地帯を抜けるものです。とりあえずこう把握するだけで、だいぶ西方理解ははかどります。

 さて、蜀のうち、さらに東半分は、巴、と呼ばれます。その巴に根を張っていた豪族が三国志の時代、漢中に移住していました。しかし時が下り、斉万年の乱。関中より多くの亡命者が流入し、漢中ではまかないきれなくなりました。当時の族長であった李特は、やむなく亡命民を率い、巴に戻ります。この集団が、のちに最初の五胡国家の一つ、成漢となります。

 

 一方の斉万年は、この年に打ち取られています。鎮圧作戦で無能を晒す皇族たちを押しのけ、張華が勇将の孟観を送り込んだことによります。これまでの苦戦が嘘のように、あっという間に乱は鎮圧されました。

 しかし資治通鑑は、ここで『徙戎論』を引きます。先日紹介した「胡族を追い出せ」論における代表的なもので、この期間の文字数の約半分が徙戎論の内容です。ここにこの論が置かれたということは、これが事実であった、と証だてるようなもの。そして確かに斉万年の乱は、そう呼ばれるにふさわしい事態を招いています。


 対して、中央。賈南風の甥である賈謐が皇太子をバカにし、その様子を八王の穎が怒鳴りつけた、と言う事件が起きました。これにより、むしろ穎が鄴に飛ばされました。その穎に代わり、当時鄴を鎮守していた顒が洛陽入りしています――いや姓抜きだと却ってこのあたりわけわかんないですね、すみません。ともあれ、ずいぶんあっさりと一連の流れが書かれているのですが、なんというか見事にお膳立てが整いつつある印象です。もはや、爆発は目前です。

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