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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇一月】二八〇年〇三月~三〇九年〇七月

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20/30

【19日】297年04月~298年02月

【297年04月~298年02月】

資治通鑑原文1154文字(301/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/1-司馬衷-1/29

 1/1-劉淵-2/2

 1/4-慕容廆-2/26

 1/12-陸機-1/25

 1/12-劉琨-2/10

 1/17-拓跋猗盧-2/8

・準メインキャスト

 1/1-司馬倫-1/23

 1/1-張華-1/22

 1/11-司馬熾-2/4

 1/11-賈南風-1/22

 1/13-司馬越-2/2

・八王

 ×亮×瑋乂穎倫冏顒越



【できごと】


思想が強い! 資治通鑑、清談を語る


 北も、西も、きな臭くなってきました。拓跋部は拓跋猗㐌が西方に進撃、三十ほどの国を制圧した、と書かれます。大国化待ったなしです。


 しかし、資治通鑑はここで洛陽にカメラを戻します。ただし賈南風政権、そのものは見ません。中央高官の間にはびっている悪弊として、清談をやり玉に挙げます。

 清談とは老荘思想をベースにした議論ゲームのことで、あけすけな言い方をしてしまえば、よりトンチの効いた言い回しができた方が勝ちとなるものです。曹魏明帝の時代を代表する文学者の何晏に始まり、かの竹林七賢もまた晋に対するボイコット的な意味合いで清談に明け暮れました。ただし、竹林七賢最後の一人である王戎は、なんとこの時期の三公となっています。人臣のほぼトップです。きっと竹林七賢の武勇伝を後進たちに滔々と語ったことでしょう。このためアンチ晋の象徴行為であったはずの清談、飲酒、あるいは麻薬である五石散の服用、素っ裸で踊り狂うなどの奇行は、すべて「イケている行為」として流行ったそうです。


 さて、賈南風政権の大黒柱と言えば張華ですが、もうひとりの柱がいました。裴頠と言います。彼は『崇有論』を著し、清談を始めとしたイカれ行為がお国を破壊する、と警告。しかし奏功しませんでした。もちろん賈南風と裴頠とが同じ主張であった、と断定するわけには行きません。とはいえ同時に「この退廃趣味の横行も賈南風政権のせい」かのように見せかける資治通鑑の論法も、同時に疑うべきでしょう。どちらかといえば賈南風政権は、「こうした風潮を止められなかった」が実情に近いのではないか、と考えています。


 なお、王戎の後進世代におけるトップ清談ニストの名前は王衍と言います。王戎の親族です。この先、あまりにも各所で起こるドタバタが多すぎるので、なかなかこのひとについては触れきれません。ただ、なんとなくでも結構ですので覚えておいていただくと、後日のオチ要員として機能してくれます。なので、よろしければ記憶の片隅にでも引っ掛けておいてみてください。

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