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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇一月】二八〇年〇三月~三〇九年〇七月

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19/19

【18日】296年04月~297年03月

【296年04月~297年03月】

資治通鑑原文630文字(336/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/1-司馬衷-1/29

 1/1-劉淵-2/2

 1/4-慕容廆-2/26

 1/12-陸機-1/25

 1/12-劉琨-2/10

 1/17-拓跋猗盧-2/8

・準メインキャスト

 1/1-司馬倫-1/23

 1/1-張華-1/22

 1/11-司馬熾-2/4

 1/11-賈南風-1/22

 1/13-司馬越-2/2

・八王

 ×亮×瑋乂穎倫冏顒越


【できごと】


五胡の時代が始まる! 斉万年の乱


 ついに時代が動きます。斉万年の乱。前回の関中反乱はまだ局所的なものでしたが、ここにきて担がれた斉万年は、羌族、氐族に対する絶大な求心力を持ち、打ち続く飢饉も災いして、その規模を急拡大させます。この乱で最も特徴的なのは、斉万年が皇帝に推戴されたこと。これは晋に対する、完全な手切れ宣言です。対する晋はこの乱の鎮圧に周処という人物を当てました。周処は呉の出身で、もともとは「呉の三害」と、ワニや虎レベルで害をなすとおそれ、嫌われていた暴れん坊でしたが、陸機に諭され改心、晋に士官。ひとたび官吏ともなれば公明正大な施政をなしたため、人々より大いに支持を受けていました。さらには不正を憎む義の人でもあり、汚職を働く皇族、司馬肜を一切の遠慮なしに糾弾しました。


 しかし、それが災いした。この当時の関中総督、つまり倫の後任が、よりにもよって司馬肜だったのです。両名の関係を知る人々は周処を任用すべきではないと強く訴えましたが、無視されました。結果周処は、わずか5千の兵でもって7万もの反乱軍に突撃を強要され、戦死します。誰の目から見てもこの配属および命令は不当なものでしたが、司馬肜、なにせ司馬懿の息子です。その権力は絶大。なので一応お叱りがなされた程度、処分まではされていません。なお司馬肜はそのままフェードアウトするので特に気にしないでいいです。ちなみに畳の上では死んでいます、胸糞ですね!


 ただ、ここで一つ問題がありました。周処は他でもない、斉万年よりもっとも恐れられていた晋将の一人だったのです。このため当面の脅威が去った乱はさらに拡大。関中より多くの民が脱出します。こうした中には、後に成漢を打ち立てることになる李雄の一族であったり、十六国に含まれないが独立勢力として最後まで北魏に対して粘った仇池を打ち立てた楊茂搜などがいます。


 こうやって考えると、倫は八王の乱を致命的に悪化させたのみならず、十六国の割拠の原因としてもいっちょ噛みしているわけです。もはや、いっそお見事と言うしかない災厄ぶりですね!

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