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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇一月】二八〇年〇三月~三〇九年〇七月

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17/18

【16日】294年05月~295年04月

【294年05月~295年04月】

資治通鑑原文157文字(362/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/1-司馬衷-1/29

 1/1-劉淵-2/2

 1/4-慕容廆-2/26

 1/12-陸機-1/25

 1/12-劉琨-2/10

・準メインキャスト

 1/1-司馬倫-1/23

 1/1-張華-1/22

 1/11-司馬熾-2/4

 1/11-賈南風-1/22

 1/13-司馬越-2/2

・八王

 ×亮×瑋乂穎倫冏顒越


【できごと】


加速する北部事情! たぎる怒りの火


 引き続き、賈南風政権の動向は全然わかりません。ただ、この話がもたらされます。上党の匈奴、郝散が決起。上党太守を殺害しました。上党といえば、ちょうど先日紹介した石勒の住んでいたエリアです。石勒の属する羯族は匈奴の一部衆であるとも言われていますので、この反乱に何らかの形で石勒も関わったのかもしれませんが、詳細は不明です。

 とはいえこの反乱は速やかに鎮圧され、郝散も配下を率いて降伏。ただし、すぐに処刑されました。この書かれ方であれば、もしかしたら乱のいきさつには郝散の側に理があったのかもしれません。いずれにせよ度々書かれていた飢饉などから、窮乏が各地を襲っていたのは間違いのないことなのでしょう。


 北方では慕容廆が棘城に進出。じわり、じわりと中華に近づいてきています。ともなれば慕容と中華の間に勢力圏を持つ宇文部や段部との激突は不可避です。


 また拓跋弗が大人即位後まもなくにもかかわらず、いきなり死亡。叔父である拓跋禄官が即位します。このあまりにも早すぎる代替わりには陰謀論を持ち込みたくもなってくるのですが、あまりそれをやりすぎても仕方がないのでしょう。ただしこれは言えます、この後、拓跋部は拓跋禄官の指揮下で強盛となります。


 また、引き続き重臣の訃報。ここでは傅咸の名と、「その傅咸がどれだけ域内の綱紀粛正に尽力したか」が書かれます。ちなみにこれは春秋の筆法と呼ばれ、「こうした人物の喪失がなにを意味するか」を言外にあらわす、というわけです。それを裏付けるように、この頃の資治通鑑は必要以上に名臣の素晴らしかった点を飾り立てています。タイミングが違ったら、たぶん「死んだ」としか書かれていなかっただろうな、とは、想像に難くありません。


 こうした予告は、次回、最悪のゲームチェンジャーこと倫と、その参謀として倫を操った孫秀の洛陽入り、という形で果たされます。この頃の倫は鄴から長安に移鎮していましたが、そこで盛大なやらかしを決めています。このあたりのタイミングは、そのやらかしで炎上している真っ最中。いよいよ激動の時代の幕が開くわけですが、正直なところこの二、三年の出来事を細かく紹介してくれる史料が欲しい気持ちでいっぱいです。

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