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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇一月】二八〇年〇三月~三〇九年〇七月

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15/18

【14日】292年07月~293年05月

【292年07月~293年05月】

資治通鑑原文36文字(365/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/1-司馬衷-1/29

 1/1-劉淵-2/2

 1/4-慕容廆-2/26

 1/12-陸機-1/25

 1/12-劉琨-2/10

・準メインキャスト

 1/1-司馬倫-1/23

 1/1-張華-1/22

 1/11-司馬熾-2/4

 1/11-賈南風-1/22

 1/13-司馬越-2/2

・八王

 ×亮×瑋乂穎倫冏顒越


【できごと】

大赦敢行! それ以外は?


 ついにこの日が来てしまいました、両晋南北朝でもっとも資治通鑑の記述が薄い日! 大赦をなした、以外の記述がありません。ここでの大赦は恐らく賈南風体制の完成が祝われた、とみなすのが良いのでしょう。前年には楊駿の一門の抹殺も完了していますし。ただし、それはあくまで洛陽のみであったはずです。


 洛陽から外に出れば、長安には強大な軍事力を保持していた、倫。東に出れば、鄴には顒。北を見れば、東方にはしばらく動向が書かれない鮮卑たち。そこから西に向かえば拓跋部、五部匈奴。ここで五部匈奴はかの劉淵が統率している勢力です。その隣には、みんな大好き赫連勃勃の先祖に当たる匈奴鉄弗部がおり、さらに西方に出れば代々漢・魏・晋に圧迫されていた、氐族や羌族。こうした各勢力が晋の労働力として、あるいは敵対勢力として存在していました。つまりここから本格化する八王の乱も、本来そのようなものをやっている暇はなかったのです。


 この当時、晋国内ではいわゆる胡族を国外に追放し、守りを固めろ、という論が出ていました。これがどれだけ支配的だったかはわかりません。なにせ結果を見ればその論のとおりだ、となりますので、いわゆる事後予言的に都合良く持ち出されたりもするからです。とは言えこの頃、いわゆる中華の地に移住した胡族たちもすでに世代を重ねていました。たとえばこの後に大きな存在感を示す人物、石勒などは黄河にほど近い上党という地に、父親もしくは祖父あたりの代から暮らしています。もはや追い出すためにも少なからぬ血を見なければ済まない状態となっていたのです。


 いみじくも現代でも同じ問題が各所に噴き出ていますが、既にその場に居着いてしまっていた民と必要なのはいかに共生のために話し合いをするか、以外になかったはずです。しかし結果については、既に初日にも述べた通り。この先、中華の民が一応の結論的な出来事に着地するまでは、このタイミングからおよそ三百三十年の時をかけ、多くの破壊と死を乗り越えねばねばならなかったのです。

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