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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇一月】二八〇年〇三月~三〇九年〇七月

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12/18

【11日】289年08月~290年07月

【289年08月~290年07月】

資治通鑑原文3111文字(147/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 1/1-司馬炎▲

 1/1-司馬衷-1/29

 1/1-劉淵-2/2

 1/4-慕容廆-2/26

・準メインキャスト

 1/1-司馬倫-1/23

 1/1-張華-1/22

 司馬熾-2/4

 賈南風-1/22


【できごと】

武帝崩御! おわりのはじまり


 武帝にとり、天下統一とは父親の司馬昭から押し付けられた重荷だったのかもしれません。始皇帝や劉邦がそうであったように、本来、天下統一という戦時の終わりは制度の見直しが求められますが、武帝は引き続き制度の見直しを求める臣下の声を無視し続け、死亡。暗愚で知られる司馬衷が皇帝に、大悪女として知られる賈南風が皇后になります。なお皇帝は、即位までは姓名、即位後は諡号で呼びます。つまり、恵帝と。とは言え当企画ではここが実質の初登場ですけれど。


 恵帝の暗愚ぶりは皇太子時代から明らかで、幾度となしの廃立も考えられていました。しかし、そうはならなかった。ここには楊駿のゴリ押しがあったとしか思えないのですが、晋書も資治通鑑も、そこは明言しません。断言できるだけの材料がない、ということなのでしょう。その代わり、恵帝の嫡子、司馬遹の聡明さがピックアップされます。将来司馬遹を皇帝にさせるために恵帝を即位させた、とのことです。ここについては「そういうことにしておいたほうが、この先の流れがまだわかりやすい」と付言します。


 まだわかりやすい、と書きました。ここからそろそろ、この時代で遊ぶにあたって地獄のようなハードルの高さを強いる「八王の乱」のための助走を始めねばならないのです。八王の乱は「八人の王が反乱した」ではありません。「西晋後期の混沌を整理するにあたって拾っておくとまだ理解しやすくなる八人をピックアップしたもの」なのです。ここで資治通鑑も八王のうち四人、亮・瑋・乂・穎を一気に列挙します。ここで亮は別格で、武帝の叔父として武帝を補佐し、恵帝の後見を期待されていた人物。瑋・乂・穎は恵帝の弟たちです。この先については少し予告を挟んでおいたほうがいいでしょう。まずはじめに賈南風の策謀で亮と瑋がコケて、状況がめちゃくちゃになったところを乂・穎が暴れまわる、みたいな感じで想定して置いていただけると、この先の骨子がまだわかりやすくなってくれるのでは、と期待しています。

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