第二十九話 信頼
暑さは残りつつ爽やかな風が吹き始めた9月のある日、急いで身支度を整えた千紗が慌てて何処かへ出掛けて行く……。
「お留守番、よろしくね。行ってきますね」
『早く帰って来てね。行ってらっしゃい』
『慌てて何処行くんだ?気を付けてな』
ミイとキズナの頭を軽くトントンと手で触ってから、無言で千紗がドアを開け……外からカチャリと鍵をかけた……。
ミイとキズナは、いつもとは違う様子だった千紗を案じながら、いつもの場所へと戻って行く。明るい窓際で他の猫たちは、お出かけに気付いていないようで、丸くなっていた。
優しくなってきた日差しを浴びる生け垣の中に何かがいる……頭に黒い油染みをつけ、灰色によごれた猫が素早く窓に近づいてきた。そして、窓ガラスの前に座り、小さな声で短く鳴いた。
『ボス!』
『おっ……一段と野良猫に戻ってきてるな。車の下で寝てるのか?頭が黒くなってるぞ』
内心ではアオへの心配をしつつ、キズナは笑いながら軽く返答する。
『ボス、からかわないでくださいよ……それよりも、やっとこの辺りで地域猫の頭をしている猫を見つけました!昔と違って野良猫の数自体が減っていて、猫同士の連絡網があまり機能していないんで……大変だったんすよ』
『そっか、時代が変わったんだな……』
キズナは、過去の野良猫のボスをしていた頃を懐かしく思い出しつつ、外に出る事が出来ない現状で出来る事を考えている。
『今は公園で集会もしないのか?』
『そうなんすよ。繋がりが薄いというか……情報交換や共有するのは稀みたいで……個々が生き延びる事に重きを置いてますね。昔に比べて寿命も短くなって……リーダー的存在の移り変わりも早いらしいです』
アオは、この辺りの状況をキズナに細かく報告する。そして、今この辺りの野良猫で、リーダー的存在なのは、名前のない黒猫だと話す。
黒猫か……人間は何故か黒猫を避ける事が多いような気がする。黒い毛色を敬遠するのか……黒猫に近寄る人間はあまり見たことがないな。結構人懐っこい甘えん坊の性格のヤツが多いのに……。
『……ボス……聞こえてますか?』
思いを巡らせ過ぎてアオの話が入ってこなくなっていたキズナは、ふと我に返った。
『ボス……もう一度言いますから、ちゃんと聞いてくださいよ』
口調は怒っているが、嬉しそうなアオ……アオもまた野良猫時代を懐かしく思い出していたからだ。強い信頼関係で結ばれていた昔のコミュニティを……。
黒猫の縄張り意識が薄いのか……おおらかな性格なのか、見回りや縄張り争いはほとんどしないらしい。地域の出入りは自由で、よっぽどの事がなければ追い出す事もしない。
縄張り自体は広いので、季節に合ったねぐらを転々としている。そして、台風シーズンには千紗の家の近くのねぐらに移ってくるようだ。
『ボス……次は黒猫のリーダーを連れて来ますから、楽しみにしていてくださいね』
走り去るアオの後ろ姿をじっとキズナが見つめる。視線を感じたアオが振り返り、キズナの視線を受け止めた。
キズナとアオは目と目で会話を終え……小さくなっていくアオの後ろ姿をキズナは見つめ続けていた……。




