第二十七話 大切な存在
その日、千紗は朝からどこか浮き足立っていた。どうやら一人娘の千夏がやって来るらしい。千紗にとって、千夏の存在はかけがえのないものなのだ。
以前、おばあさん(幽霊)が言っていたように、千紗は心の声が聞こえる能力のせいで、周囲の人々から気味悪がられることが多かった。信頼できるはずの両親の心の声でさえ、特に幼少期の千紗の心を深く傷つけるものばかりだったという。
絶望の淵で生きる気力を失いかけていた千紗の前に現れたのが、千夏だった。千夏は、無条件に自分(千紗)を認め、求めてくれる存在。千紗は、千夏のために、そして千夏が独り立ちするまでは生き抜こうと心に誓ったのだ。どんな絶望の中にあっても、「母は強し」……自分がどんなにつらくても頑張れる、と。
ミイは何度も生まれ変わってきたが、千紗と千夏のことを覚えている。
千紗が結婚してからは千紗の両親と暮らしていたこと、ミイと同じくらいの大きさの千夏を抱いた千紗がやってきたこと……。
そして、時々会うたびに千夏がどんどん大きくなっていくのを不思議に思っていたらしい。
ミイにとって、千紗のパパ(白猫と青年)から始まる大切な記憶は、今もずっと鮮明に残っているのだ。
千紗の父、千紗、そして千夏……もしかしたら、ミイはずっと彼らを見守り続けるつもりなのかもしれない……。
「ただいま〜」
「おかえりなさい。急にどうしたの?何かあった?」
「別に……なんとなく……」
「そっか、何か困ったことでもあったのかと……何もなくて良かった」
いつの頃からか、千紗は千夏の目を見ないように話すようになっていた。まるで最後の砦のように、何としても守りたかったのかもしれない……。
目が合えば心の声が聞こえる……このことで、時には築き上げた信頼を根底から破壊してしまうという苦い経験を千紗は味わってきた。
千紗自身の心を守るため……いや、違う。千紗が本当に望むのは、千夏が苦しまないことだ。
人間は誰だって本音を隠している。それを無断で聞かれるとしたら……嫌な気持ちになるのは当然だからだ。
動物や小さな子どもは本音で生きている。嘘偽りがない。
そういえば、幼い千夏が何に対しても「イヤ、イヤ……」と言っていたのをふと思い出し、千紗は懐かしさに浸った。
何が嫌なのかと心配した千紗だったが、「イヤ」という言葉を連発することを楽しんでいると知り、安心したのだった。
今でも千夏は「嫌なことはイヤ」とはっきり言ってくれるため、千紗にとっては心が楽だという。
むしろ、千夏に嫌なことを我慢させてしまうことの方が、千紗にとっては申し訳なく感じるらしい。
つくづく千紗は不思議な人間だと思う。心の声が聞こえるからだろうか、それとも猫と話せるからだろうか……。
いずれにせよ、今日の千紗は千夏のおかげで、本当によく話し、よく笑って楽しそうだ。
……こんな日が続けばいいな……ミイはそう願っていた。




