第二十六話 特効薬
聞き慣れた足音が近づいてくる……この足音だと……今日は明るい気分で帰ってきたな……。
ガチャリと鍵が回り、ドアが開く。千紗が帰ってきた。ドアの隙間からは、青々とした雑草の匂いがする……近所で草刈りでもあったのかな……。
「ただいま〜」
俺とミイは、玄関マットに並んで座り、他の奴らもお出迎えの儀式を待ちわびている……さぁ始まるぞ。
俺とミイは、まず千紗の靴を脱ぐ時間さえ待ちきれず、頭と体を千紗の膝あたりにこすりつける。
観念した千紗は、靴を履いたままで玄関マットに腰掛けた。スリスリする場所が増えて、他の猫たちが口々に
『おかえりなさい』
『千紗、待ってたよ』
『おかえり〜、次は私の番〜』
と言いながら、千紗の背中や腰のあたりに群がっている。高さを失った千紗の足に興味を失った俺は、千紗の膝の上にサッと跳び乗る。首を伸ばして千紗の顔に近づけてゴロゴロと喉を鳴らす……。
いつものお出迎えの儀式……これが、千紗にとって一番の気力回復の特効薬なのだ。千紗は、人間関係で辛い思いをすることが多い。たとえ相手が、ずるい人であっても嘘つきであっても……誰にでも同じように誠実に対応しようとするのが原因だろう。そういう種類の人間は当然の事ながら、利用価値がなくなれば酷い捨て台詞を吐いて、不要品を捨てるかのように千紗を見捨てる。
千紗は、人間の目を見れば心の声が聞こえるらしい。しかし、そういう種類の人間は、決して目を見せないのだという。真意を悟られないように本能的に目を合わせないのかもしれない。
心の声が聞こえない以上、声として口から出る言葉を信じるしかないが、やはり『何かがおかしい』と千紗も感じるようだ。
千紗の困った所は、そういう時に『疑ってしまった。勘違いかもしれない』と相手より自分を責めてしまうみたいなんだ。どんなに相手がズルくても悪くても……自分が悪いから、と自分を責めるんだ。千紗の周りの人間……外の世界の人間は、そんな奴が多いのか?
猫だったら、目を合わせると喧嘩の意味になるから、弱い奴が目を逸らす……簡単な事だ。俺は、視線がぶつかっても目を逸らさない……喧嘩で負けた事がないからさ。
野良猫のボスだった俺が、仲間の猫以外で守ろうと思うのは千紗だけだ。外の世界で傷ついて帰ってくる千紗を、家から出れない俺
が守ろうって……しかも、猫が人間を……おかしな話だよな。




