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いずれ訪れる終わりの中で

作者: ごはん

老人は毎朝、決まって近所の公園を歩いた。背筋を伸ばし、ゆっくりと呼吸を合わせる。

近所の人からは「もう歳なのに、よく続けられますね」と声をかけられることもあった。


彼はいつも笑って答える。

「ええ、続けたって、結局は人間、死ぬんですけどね。」


冗談めかしたその言葉の裏に、自分への問いもあった。

――死を免れないのに、なぜ私は歩くのか。なぜ食事に気を配り、眠りを整え、健康を保とうとするのか。


ある日、ベンチに腰を下ろし、子どもたちが走り回る姿を眺めながら気づいた。

健康であろうとする行為は、死を避けるためだけではない。

それは「今日」という一日の中で、自分がよく生き、よく感じるための営みなのだ。


呼吸が深ければ、風の匂いを感じられる。

体が軽ければ、孫と一緒に歩ける。

心が穏やかなら、人に優しい言葉をかけられる。


「意味は寿命の長さではなく、営みそのものに宿るのだな」

老人はそう心の中で呟き、再び立ち上がった。


歩き続けても、終わりは必ず来る。

だが、健康を大事にする日々は、終わりに向かう道を光で満たす。


足取りは少し重くても、その歩みは確かに意味を刻んでいた。

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