兎の罠に、掛かった狐
少々特殊な世界観です。
和風ファンタジーと思ってお読みください。
「婚約することになったんだけどさぁ」
いつもと同じ、悪友と過ごす昼下がり。お茶を飲むため、寝転んでいた体を起こした卯月遥兎は、なんてことない、雑談の続きのように、そう言った。
「はぁ??」
直後。机の対面に座っていた男から、地を這うような声が出た。驚いたせいで、ピク、と兎耳を立つのを自覚しながら、声の主を見遣る。
性別を越えた悪友、銀狐の皐月は、片側だけ覗いている深緑色の目をまん丸に見開いて、此方を見ていた。まさに愕然とした表情だ。
え、何も言ってなかったっけ。相手の動揺ぶりに、思わず声を震わせながら、訂正した。
「ごめん、間違えた」
「いや、オレも聞き間違えた気がするんで」
言い直す前に、なんとなく正座する。きちんと伝えないと、まずい。そう直感が告げていた。
皐月も同じように正座をし、お互い、真剣な表情で向き合った。
すぅ、と深呼吸をして、再び口を開く。
「婚約じゃなくて、婚約者選びの見合いが正しかった」
「は??」
圧が強い。2回目なのに、1回目より低い声が出てた気がする。見合いと婚約の何が違うんだ、とでも言いたげな顔である。
全然違う。そう伝えるため、捲し立てるように言葉を連ねる。
「いや、流石に全く知らない相手と婚約は時代錯誤でしょ? まあ、家の都合で結婚する時点で人間的ではないけど」
「オレら、人間ではないですけどね」
「似たようなものでしょ」
見た目の半分は人間のようなものだ。厳密にいうと人間と種族は全く違うし、人間が言う『獣人』も正しい表現ではない。
動物の要素を持ってはいるが、動物とも違う。神の使いとされる動物の要素を持った存在、精霊や妖精、妖怪に近い種族である。
まあ、生活様式としては人間とほぼ同じだ。結婚の概念もあるし、政略結婚も存在する。というか、政略結婚の方が多いような、そんな文化だ。
「で、なんで急に?」
「だって、婚約者できたら二人で会うのって良くないでしょ?」
別に皐月と結婚する訳ではない。が、幾ら相手に恋愛感情がなく、付き合いの長い悪友といえども異性の友人と二人で会うのは外聞が悪い。
次の週末には見合いがあるので、話が上手く纏まれば、以降、こうやって会うことは難しい。
なので、事前に伝えておいた方が良いかと思ったのだが。そう伝えると、皐月は呆れたようにため息を吐く。
「じゃなくてですね。オレが聞きたいのは、見合いすることになった理由」
今迄、そんな話はなかったでしょう。皐月の言葉に、小さく頷いた。
「最近、トントン拍子で上の人達が結婚とか婚約決めてるでしょ? うちも、若様がお相手決めたから次々決まってるんだ」
「そういや、アンタのとこの若様は、烏の美人さんを嫁にしたんでしたっけ?」
「そうそう。で、分家の私も結婚しろって」
元々、若様が卯の一族内で結婚する時のために残されていたのだ。若様の相手が決まったのなら、良い年齢なのでさっさと嫁に行けと言われた。
今迄、家の都合で留めていたのに随分な言い草だが、そういうものなので仕方がない。
唯一の救いは、他の家も上の人達の婚姻状況を様子見していたので、同年代で未婚者が多いことくらいか。
「大変ですねぇ……」
「一族外なら誰でもいいらしいから、何回か見合いして相性見ていいだけマシかな」
「へぇ」
分家とはいえ、十二家の一つである卯の一族。しかも、若様の相手候補だったので、急ぐ必要はあるが、ある程度相手を選べる状況だ。
条件も一族外なら誰でも、と言われている。あまり気負わず、何度か見合いをして相手を知る時間があるのは恵まれている。
「流石に人間とは結婚できないけどね」
人間との結婚は禁止されていないが、私には向いていない。耳や尻尾を隠し、相手に合わせて生きていかなくてはならない。
「アンタ、人に化けるの下手ですからね」
「狐とか狸と一緒にしないでよ」
「阿保狸共と一緒にしないでくれます?」
ごめんごめん、と雑に謝る。皐月も次から気をつけてくださいね、と言うだけで本気で怒ってはいない。
狐と狸のお約束、というやつだ。特に、狐の本家である皐月は、面子を保つ必要がある。
「そういえば、皐月も縁談多いんじゃないの? 銀狐って、白狐の次に格が高いんでしょ?」
私たちは、元となる動物が何かに関わらず、白髪赤目が最も格が高いとされている。神の使いに相応しい色、ということだ。
私は紺の髪に赤の目なので、分家の中でも一番格が高い。皐月は、本家の生まれであり、更には白に近い銀髪に緑の瞳。髪と瞳だと、髪の色が優先なので、私より皐月の方が格上。
そう考えると、皐月は一般的には優良物件だ。なので、縁談も大量にあるのかと思いきや、皐月は首を傾げた。
「兄貴が白狐なんで、オレはそんなに。最終的に結婚すれば、好きにしていいって言われてますんで」
「気が長いな……」
「寿命も長いんで」
「確かに」
種族によるが、格が高いと寿命も長い。私は百年くらい。若様は完全な白髪赤目なので五百は超えるだろう。皐月も、多分三百くらいは生きるだろうか。
倍以上違うのだから、気が長くても不思議はない。初めから解っていたことだ。とはいえ、成人までは成長速度が変わらないので、中々実感することはなかったが。
お互いの事情に納得したところで、本題に戻る。
「だから、今日はアンタの部屋じゃなくて、応接間に通されたってワケですか」
「そうそう。流石にね。若様が、『筋を通せ』って言うし」
普段、皐月が来る時は、私の部屋に通している。他の人たちも慣れたもので、もはや顔パスで私の部屋まで案内されていたのだが、今や私は婚約者探し中の女だ。
幾ら友人とはいえ、気軽に異性と二人になってはならないのだ。なので今日は応接間で、襖は少し開けてある。
「そういうことか……」
「皐月?」
やけに神妙な面持ちになった皐月に、どうしたのかと呼びかける。しかし、皐月は緑の瞳が見えないくらいに目を細め、薄く笑った。
「気にしなくていいです、オレらの話なんで」
そう言うと、皐月はぐっと背を伸ばして立ち上がる。いつもより早いが、解散の雰囲気だ。
「帰るの?」
「ええ。用事思い出して」
「珍しいね」
いつもなら、朝から来て、日が暮れるまで居座ると言うのに。今日は三時のおやつにも早い時間だ。
こうして話せるのは、最後かもしれないのに。そう思って、珍しく。いや、初めて、皐月を呼び止めたのだが。
皐月は、仕方ないでしょ、と少し硬い声で答えた。いつもなら、飄々とした調子で答えるのに。珍しい。
「皐月」
「ま、アンタが縁談ダメにしたら、笑いに来てやるんで」
にやり、と笑う顔は、いつもと同じ悪友のもので。気のせいかな、と目を瞬かせた。
というか、大分失礼な発言である。少し寂しさを覚えたのが悔しくなって、言い返す。
「いや、そこまで嫌がられないとは思うんだけど」
「どうですかね、アンタ中々のじゃじゃ馬ですし」
「皐月こそ、寿命が長いっていっても、相手も長いとは限らないからね。早く決めないと後悔するかもよ」
「ご心配なく。兎と違って、狐は狩が上手いんで」
本気の相手は、絶対逃しませんから。それだけ言って、皐月は部屋から出て行った。
ぱたん、と襖の音が響いた。
◇
初めてのお見合い前夜。明日着る服やメイク、髪型を確認して、そろそろ風呂に入って寝ようかという時間。
お客様がお見えです、と声を掛けられ、上着を羽織り応接間へ向かった。
「皐月?」
応接間に入ると、先に入っていたのは数日前に会ったばかりの悪友であった。
「こんな時間にどうかした?」
事前連絡がないのも、日が暮れてから訪れるのも珍しい。何か緊急事態かと思って聞いてみるが、別に、と首を横に振られた。
「遅くなったけど、アンタ、明日が見合いの日ですよね」
「そうだけど……」
「アクセサリー、殆ど持ってないかと思いまして。よかったら」
わざわざ呼ぶほどのことでもないと思いましたけど、いつ渡せるかもわからなかったので。そう言いながら渡されたのは、掌大のシンプルな箱。
パカリ、と小気味良い音を立ててひらけば、中央にはアクセサリーが一つ。
「わ、イヤーカフ?」
兎の耳に付けられるよう加工された、赤い石が目を引くイヤーカフだった。金具は銀色で、他のアクセサリーとも合わせやすい。
地金はシルバーを好むのを覚えていたのだろう。いつも飄々としている割に、良く人を見ているなと改めて思う。
「アンタの目の色ですし、使い勝手良いかと思って」
赤は、尊ばれる色だ。瞳の色と同じ宝石は、見合い相手への良いアピールになるだろう。
それに、確かルビーの石言葉には勝利や情熱、そして、良縁という意味がある。
「わざわざこんな……」
見合いを控えた悪友に対して、完璧すぎるプレゼント選びだ。非の打ち所がなさすぎて、逆に怖いくらいである。
「悪友として、最後のプレゼントってことで。あんまり気にせず使ってもらえると」
そういえば、皐月にアクセサリーなんて貰ったことが無かったことを思い出す。いつもは食べ物とか、誕生日も本や雑貨が多かった。
恋人や婚約者でもないんだから、宝石付きのアクセサリーなんて贈ることがないのは当然である。
「ああ、そっか。…………ありがとう、皐月」
今度、お返しにタイピンでも贈ろう。皐月が見合いをするのは先かもしれないが、いつか使ってもらえれば良い。
宝石はエメラルドがいい。皐月の瞳にぴったりだ。
そんなことを考えながら、皐月の瞳をじっと見ていると。なんですか、と皐月が笑った。
「次が最初で最後の見合いパーティになりますから。楽しんで」
一回で相手を決めて来い、との激励につられて笑う。
「はは。折角だし、美味しいもの探すよ」
「その方がアンタらしくて良いんじゃないです?」
「珍しく褒めるじゃん」
「まあ、偶には」
「そっか」
言いながら、貰ったイヤーカフを付け、偶々持っていた手鏡で見る。うん、明日、早速使えそうだ。
「似合う?」
「そりゃ、オレの見立てなので」
似合っているらしい。ハッキリとは口にしないのが、なんとも皐月らしかった。
「……じゃあ」
「うん。じゃあね」
また、と言わなかったのは、初めてだった。
◇
皐月からの激励を胸に参加した見合いは、大人数で行う立食パーティー形式だった。
会場中央には美しい料理が並べられており、端の方には談話スペースを兼ねたテーブルがある。更に奥に続く扉は、まあ、私には関係ないものだ。
「ひとまず、飲み物だけ貰って、ぐるっと回るか」
事前に主要な参加者は調べてきたものの、調べたら名前が出るのは、有力な家の者ばかりだ。
そんな大物に声を掛ける気はないので、適当に会場を歩いてみようと受付をして、グラスを貰う。
そして、周囲の様子を見つつ、人が多そうなところへと歩いてみたものの。
「おかしい……。全然話ができない……」
人が多いところに行っているはず、だというのに。声を掛けられるどころか、私から声を掛けることすらできていない。
「殆どの相手が苦笑いで逃げていくし……」
目が合う前に、そっと距離を取られている気がする。初対面なので私の性格を知って避けているわけではないだろうし、謎である。
「結構、良い感じだと思ったのにな……」
服も髪も、化粧だって、普段より頑張って、自分でも結構上手くできたと思っていたのだが。
こうも上手くいかないと、流石に凹む。
爬虫類や鳥類みたいな、人によっては避けるような種族でもないし。赤目だから格は高いが、物凄く珍しいわけでもない。
自分で言ったらなんだが、中の上から上の下くらいのはず、なのに。
「なんでかなぁ……」
窓を見ながら、そう呟くと。後ろに茶色い影が映りこむ。
「何かお悩みですか?」
「うわっ」
背後から甘いテノールで聞かれ、思わず声を上げてしまった。
振り返ると、声を掛けた相手も驚いていたらしい。グラスを持ったまま両手を上げて、敵意がないことを示していた。
「急に声を掛けてすみません」
「こちらこそ、驚いてしまって」
茶色い髪に、小さな耳。薄い水色の瞳。丸っこく、人が良さそうな顔をしている。角度的に尻尾は見えない。
知らない顔だな、と思っていると、へにゃりと笑いながら右手が差し出された。
「申し遅れました、僕は田貫芝。狸の一族です」
なるほど、狸。愛想の良さに納得がいった。
狐の一族である皐月と付き合いがある分、ライバルとも言える狸とは関わりが無かった。知らなかったのは当然か。
右手を出して、軽く握手をする。
「卯の一族、卯月遥兎です」
「遥兎さん、とお呼びしても? 僕のことは芝、と」
「はい。芝さん、よろしくお願いします」
ナチュラルな名前呼びだが、不快感が全くないのは丁寧な口調や仕草と、柔らかな表情のお陰か。
やっと話せそうな人が現れたことに安心していると、芝さんの方から話を切り出された。
「遥兎さんは、先程から何をお悩みですか?」
よければ僕に話してみませんか、と人好きのする優しげな垂れ目が向けられる。
この人なら、親身になって聞いてくれるかも。それに、私に原因があるなら、改善しないと見合いにならない。
そう思って、口を開いた。
「実は、先程から、全く話せる相手がいなくて」
私の言葉に、芝さんは澄んだ水面のような目をまん丸にした。
「心当たりはないんですか?」
「全然ないです。折角、お洒落したのにって、少し凹んでて」
「成程。そういうことでしたか」
芝さんは、私を上から下までじっと見て、そして頭の上の方に、少しだけ視線を留めた。
「え、何か付いてます?」
「いえ、準備が大変だったろうな、と」
女性の身支度の大変さを理解してくれるタイプの人だ。心の中で、芝さんへの好感度はじわじわ上がっていく。
本当に、髪のセットも化粧も頑張ったのに、誰も声を掛けてくれないどころか避けられて、かなり自信がなくなっていたのだ。
「だから、芝さんが話し掛けてくれて、嬉しいです」
心の底から、そう言えば。芝さんは、目を細めて、ふんわり笑った。
「僕も、遥兎さんみたいな素敵な人に会えて、嬉しいですよ」
もし、僕をお相手として考えてくれるなら。芝さんは、そう前置きをしてから、会場の端に視線をやった。
「良かったら、テーブルでお話ししませんか?」
本気で、互いについて考えませんか。そういう意味の誘いであると、わからないほど馬鹿ではない。
芝さんは、多分、良い人だ。そもそも、家柄が保証された人しか参加できない見合いだし、話した雰囲気もいい。
他の人に避けられる今、次の人を見つけられれ保証もない。
小さく、息を吐く。
「……そうですね。美味しいご飯、楽しみにしてたんです」
脳裏にチラつく緑色には、気付かないフリをして。目の前の水色を見つめ返した。
「ふふ、僕もです。何食べましょうか」
「そうですね……」
一緒に選びにいきましょう。歩き出す芝さんに着いて行こうとした、その時だった。
ぐい、と腕を後ろに引かれて、肩が後ろの何かにぶつかる。誰、と口に出すより早く、聞き慣れた声が耳朶を打つ。
「……人参のグラッセ。後で作るんで、今は我慢してもらえます?」
確かに、好物だけれども。今する話じゃないし、そもそも、なんでいるんだろう。
私が理由を聞くより早く、芝さんがおっとり口を開いた。
「久しぶりですね、皐月」
「相変わらず性格悪いな、芝。わかってて声掛けただろ」
皐月、めちゃくちゃ機嫌が悪い声だ。というか、二人は知り合いなのか。
狐と狸の仲が悪いのは有名だが、皐月が敵意剥き出しとなると、もしかして芝さん、本家の血筋だろうか。そうじゃないと相手にならないはずだ。
今も、皐月の威嚇に怯まず、不敵な笑みを崩さない。
「独占欲丸出しの石のことですか? 準備も大変だっただろうにとは思いましたけど」
「石? 独占欲?」
「ああ、気付いて無かったんですね。遥兎さん。こんな男より、僕の方が良くないですか?」
「えっ? 何? どゆこと?」
「えーっと、それはですね……」
準備が大変って、私の身支度のことじゃなかったの。独占欲丸出しの石って、貰ったイヤーカフのことだろうけど。何がどう繋がってるの。そして皐月の気まずそうな顔は何。
ツッコミどころが多すぎる。
「この男は、貴女に自分の色の装飾品を付けさせていたんですよ。どうやって騙したのかと思いましたけど、成程、アレキサンドライトでしたか」
それなら、赤い時もありますし、騙すにはもってこいですね。そう言いながら、芝さんに差し出された手鏡を見ると。
私の耳には、それこそ、皐月の瞳のような。美しい、緑の宝石が輝いていた。
「……皐月?」
「あのですね、コレには理由があって」
「邪魔になりそうなので、僕は此処で失礼しますね。遥兎さん、これ、僕の連絡先です。気が向いたらご連絡ください」
皐月の愚痴でも聞きますから。それだけ言って、芝さんは笑顔で去っていった。
あの人、私に好意があるというより、皐月に嫌がらせしたかっただけだな。
そんなことより、今は皐月に、妨害工作について問いただす方が先である。
ひとまず、邪魔にならないよう、皐月を連れて会場から出る。出入り口から少し離れて、周りを確認してから、切り出す。
「なんのつもりで、これ、渡したの?」
喜んだ私が馬鹿だったのか。悪友の、皐月からの贈り物だからと、浮かれた私が、馬鹿だったのか。
キッと睨み付けると、皐月はとても、バツが悪そうに、頭を掻いて、だって、と言った。
「誰でもいいなら、オレでも、いいじゃないですか」
「は?」
今、なんて。聞くより早く、捲し立てられる。
「オレなら、アンタの好みも知ってますし、格だって十分なはずです」
「逆に、格が高いから寿命差あるんだけど……」
「魂印の儀式で一生誓えば問題ないんで」
「マジか……」
魂印の儀式は、私たち特有の、結婚式の上位互換みたいなもので。
一生に一度しかできない代わりに、性別とか超えて子供を作れるようになるし、寿命を分け合うという、永遠の誓いの強制版だ。
ちなみに、浮気したら死ぬ。最初は異性に触ったらバチってするくらいだけど、辞めなかったら死ぬ。なので、滅多にやる人はいない。
「本気じゃなけりゃ、先回りして当主に話通したりしませんよ」
それなのに、見合いに行かせやがって。若様に文句を言う皐月は、実は、私が話をした日から、若様相手に交渉していたらしい。
見合いより先に話をまとめて、私が家を出る前に呼び止める予定が、交渉が長引き、今になってやって来たのだと。
語調荒めに、頬を染めて言われれば、本気なことは嫌ほど伝わって。
「……オレじゃ、駄目ですか」
両手を取られても、いつもみたいに、冗談めかして返せなかった。
「若様は、何か言ってた?」
「アンタが頷くなら、って」
「……そっか」
一族としては、問題なし。というか、私と皐月の格を比べれば、かなりの玉の輿である。
そして、私も。見合い会場にいた相手より、皐月の方が、というか、会場の中なら、皐月が一番、好ましいわけで。
断る理由は、ないのだが。
「何か不満があるなら、努力しますけど」
不満がないわけでは、ない。勿論、騙し討ちのように贈られたイヤーカフのこともあるけど、あれは私の確認不足。
そんなことより、大切なことを聞いていない。
「皐月さ、まだ、言ってないこと、ない?」
「は?」
「いや、だから。一番大事なこと、聞いてないなって」
じっ、と見つめれば、緑の瞳がひどく忙しなく左右に揺れた。
「え、いや、それは。……ここまでしたら、わかってるでしょう」
「まあ、なんとなく。でもさ……、やっぱ、ね?」
「アンタ、そういうこと気にするタイプでしたっけ!?」
確かに、女々しいとは思うし、気にするほうではないけれど。一生に一度くらい、言葉にしてほしいと思うのが、乙女心というもので。
しばらく、無言で見つめれば。皐月は片手を顔に当て、溜息を吐き、青空を仰ぎ。そして、私の前に跪いて、手を取った。
「……遥兎が、好きです。オレと、結婚してください」
「はい。私も、皐月が好き」
だと、思う。そう言う前に、力強く抱きしめられて。
ざあ、と雨が降り出した。