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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

物狂(ものぐるい)

作者: もも

「俺さぁ、あの部分がどうしてもわかんないの」


 机を挟んで向かい合っている幼馴染は、古語辞典、教科書、ノートの3点セットを開きながらこちらを見た。


 放課後の空き教室。古典が苦手だというので勉強に付き合っていたら、『徒然草』について唐突に話し始めた。不満そうにすぼめられた口元を見ながら、僕は尋ねる。


「徒然草なんて中学の時に習うでしょ。どの部分のことを言ってんの」

「一番最初の“つれづれなるままに”なんたらってとこ。呪文のように覚えさせられたから高3の今でも言うのは簡単なんだけどさ、現代語訳しろって言われたらなんかピンと来ないんだよな」


 古典の授業で誰もが通る、吉田兼好作『徒然草』。あまりに有名な冒頭の部分はテストのために何度も繰り返し頭に叩き込んだので、数年経った今も脳の引き出しから簡単に取り出すことが出来る。


「そんなに難しいかな。確か『やることがなくて心に浮かんだことをとりとめなく書いていたら気が変になる』みたいな感じじゃなかったっけ。ざっくりだけど」

「それ」

「え、どれ」

「最後のところで急に意味が繋がらなくなる」


 古語辞典をパラパラとめくりながら、幼馴染は続ける。


「“つれづれなるままに”から、“そこはかとなく書きつくれば”までは単語の意味がわからなくても何となくフィーリングで理解出来るんだけどさ。“あやしうこそものぐるほしけれ”のところでちょっとトーンが変わる感じがしない?それまで淡々と表面をなぞるような書き方だったのにいきなり感情をむき出しにされたみたいで、ドキッとするというか」


 僕は頬杖をつきながら辞典のページを()る彼の左手をじっと眺めた。運動部らしく日に焼けた手の甲に走る、健全な静脈。“あやし”の項があるページで手が止まる。


「そもそも“あやし”てさ、意味が多すぎるんだよ。不思議だとか異常だとか疑わしいとか、ひとつの単語でいっぱい意味持たせるの止めてくれ。それにさ」


 さらにページを進め、今度は“ものぐるほし”の箇所を指す。


「漢字で書いたら“物狂ほし”って、もう字面見ただけでザワつくんだよ……まさに今の俺の状態が物狂おしいわ」


 気が変になりそうと言いたいのかと解釈する。


「徒然草の一文で何を妄想したのかまでは聞かないけど、大方彼女のことでも考えて毎日気でもおかしくさせてるんだろ」

「うるさいな。お前のその察しの良さ、何なんだよ」


 お前のことしか見てないからな、僕は。

 他の人間がどうでも良すぎて、正直お前の今の彼女の顔も名前も曖昧だし。


「今度の子は長続きしそうなのか。いつも半年ももたないから心配で」


 幼馴染を案じているような顔をして、僕は問う。


「いやマジでそれ。なんで続かないんだろうな」

「お前が見栄を張るからじゃないか」

「彼女だぞ。恰好悪いとこ見せらんないじゃん」

「僕には『古典わからん、助けて』て泣きつく癖に」

「だってお前はさ、俺がトマト食べられないとかパニック映画苦手とか、そういうの全部知ってるだろ。もう取り繕う必要ゼロだからさ」

「おー、もうどんどん見せとけ」


 恰好悪さに恥ずかしがる姿や泣きそうな顔なんて、僕にとってはただの御馳走なんだから。

 

 もっともっとダメになってくれ。

 そのためにも色んな女子どもと付き合って、引きずるぐらいのダメージを受けてこい。


「フラれたらまた慰めてやるよ」


 僕が全部、何もかもずぶずぶに甘やかしてやるから。


「縁起でもないこと言うな」


 そう言って拗ねたところで時計を見る。午後6時。下校時刻を告げるチャイムが鳴った。


「下で彼女、待ってるんじゃないの」

「やべ」


 慌ただしく机の上を片付けて、幼馴染は立ち上がった。


「お前も一緒に帰るんだろ?」

「なんでそうなるんだ」

「いや、なんでって……あ、そうか。いつも一緒に帰ってたからつい癖で」

「僕よりも彼女の方を優先しろよ」


 今はな。


「じゃあ悪い、先に出る」


 鞄を手に教室を出ようとしたところで、「ちなみにさ」と振り返る。


「さっきの徒然草の話、お前なら何て訳すの?」

「“あやしうこそものぐるほしけれ”? さっき言ったじゃん」

「あれは一般的にはって話だろ。お前みたいに古典が好きなヤツならどう考えるのかなと思ってさ」

「そうだな……個人的な見方で訳すなら」


 僕は笑って答える。


「異常なぐらいどうにかなりそうだ、て感じかな」

「ははっ。そこだけ聞いたらなんかエグいな。じゃあな」


 大きくひとつ笑うと、幼馴染は彼女に会うために去って行った。

 廊下を走る足音を聞きながら、僕は大きく息を吐く。鞄に教科書を入れ、机と椅子を整えたところで窓の外を見ると、落ち合ったばかりの2人がいた。遅れてきたことを謝っている。

 

 そこの女子、ごめんね。そいつとさっきまで一緒にいたのは僕だから。


「次はどんな風に慰めてやろうかな」


 連れ立って歩く2人の後ろ姿に向かって呟くと、僕は教室のカーテンを勢い良く閉めた。





【参考】旺文社『全訳古語辞典(第三版)』

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