生産的な復讐を
とあるとき、母が死んだ。
それは単に母の体が弱かったということもあるが、母自身がこれからの事を考えて高額な治療を拒んだのだ。
フリューア伯爵家は水の魔法を持つ一族で、もちろん皆真面目に働き、領民とともにいざというときの為に財産を蓄えて地道にやってきた。
だから、本来であれば母一人を生きながらえさせること、それはさほど難しいことではないはずだった。
しかし隣の領地であり、ナターリエの婚約相手の実家でもあるギースベルト侯爵家がここ最近、魔獣の被害に遭い当主を失い、その領地経営に陰りが見えている。
そして付き合いが長く交流も深いフリューア伯爵家に助けを求めてきた。
このままでは、領地の経営が危うくなり、ギースベルト侯爵領のような隣の大きな領地が荒れれば、フリューア伯爵家ももちろんただでは済まない。
だからこそ、多額の復興金を彼らはフリューア伯爵領に要求した。
それを知ってこれからのことを憂い、嫁に行くナターリエのことを心配した母は上記の決断をしたというわけだった。
形見の家宝である水色の魔石のついたネックレスをもらい受けて、ナターリエは気落ちしている父と兄に言った。
「ギースベルト侯爵家の魔獣被害については痛ましいことだと思います。しかし、フリューア伯爵家から出した復興金の利用の仕方も、状況もあまりに情報が足りません」
「……それはそうだが」
「王家に収めている税金の証明書だけで被害の規模を計り、私たちも支援していますが、あまりにも不透明です。そうでしょう、お兄さま、お父さま」
「それはもちろんだが……ナターリエ、相手は上級貴族だ。きつく要求することもできない」
父は難しい表情で、ナターリエを諭すように言う。
それに続いて兄も、息巻いているナターリエに落ち着いた声で言った。
「それに、魔獣被害はどこの領地にも起こることじゃないか。ナターリエ。こうして、今サポートすることは今後のいい関係性につながると俺は思う」
もちろん兄の言っていることは正しいし、ここは耐え忍ぶ時なのかもしれない。
しかし、ナターリエだって引けない。
「でも、お母さまは治療を受けられずに、苦しんで死にました。お金があれば少なくとも苦しまなかった」
「……すまない」
「ナターリエ、それを責めたって……」
「いいえ、責めているんじゃありません。そんなふうにして無理して出した金銭です。私は誰かの役に立っていると信じたい。それに水の魔法を持っている人間がいれば復興は早く進むかもしれません」
ナターリエは優しい父と兄に、心に決めていたことを口にした。
フリューア伯爵家の人間はみんな善良だ。誰も悪い事なんかしてない、だからこそその献身が報われていると証明したい。
「婚前ですが、ギースベルト侯爵家に向かいます。そしてフリューア伯爵家との橋渡しになります。復興金の返済についても無理のない範疇で話を纏めてきちんとしたいのです」
「ナターリエ、そんな無理をせずとも、私が……」
「ああ、俺と父上が近いうちに向かうからナターリエは屋敷にいればいい」
「そういうわけにはいかないことをわかっているじゃないですかお二人とも。魔獣の被害があった場所に、フリューア伯爵と、跡取りが二人で向かってどうしますか。私にだってそのぐらいわかりますよ」
彼らが焦ったようにした提案をナターリエは、困ったような笑みで否定する。
現実的にそうもいかないから復興の不透明性を感じて困っているのだ。
ナターリエの決意は固くそうして、ギースベルト侯爵邸に向かうことにしたのだった。
「よく来たな、ナターリエ、この屋敷がそのまま綺麗に残ってることに驚いただろ?」
「お父さまは、たまたま被害のあった西側領地にいて、そこはとてもひどいのですわ。近いうちに案内しますからしばらくはここでゆったりとすごしてくださいませ」
出迎えたのは婚約者のアルバンとその姉に当たるビルギットだった。
たしかに屋敷はきれいなままで、ここに来るまでの間もとても魔獣被害があった領地だとは思えないほどだった。
しかし、こういうことはよくあることだろう。
ナターリエは端から疑ってかかることなどなく、彼らに朗らかに接した。
「ありがとうございます。アルバン、ビルギット様、大変な時期ですのに、おしかけてしまって申し訳ありません」
「いやいや、いいんだ。丁度、俺たちも君が来てくれたらとわらでも縋る思いだったからな」
「ええ、本当にタイミングがよかったぐらいですのよ」
ナターリエが想像していたよりもずっと彼らは人の手を必要としていて、疑われるようなことをしているだなんてまったく想像もさせない笑みだ。
ただその嬉しそうな笑みは、どこか順風満帆の満たされた人間の笑みに見えて、少しナターリエは不思議な気持ちを覚えた。
けれども、すぐにその場で指摘するようなことはない。彼らは続けて、一番端で笑みを浮かべていた小さな弟を紹介してくれる。
「しばらくここにいるなら、この子も紹介しておこう。会うのは初めてだろう、ヴィクトアだ」
「ほら、しゃんと挨拶をしなさいな、本当にのろまな子ね」
「そうだ。しゃきっとしているナターリエに教えてもらえばいいんじゃないか? ナターリエは子供が好きそうだしな」
彼は背中をポンと押されてナターリエの前に一歩出る。そして口を開こうとしたけれど兄と姉に口を挟まれて困ったように笑う。
家族仲は悪くはなさそうに見えるが、少し棘を感じるのは家庭内の雰囲気の違いだろうか。
「わ、私は、ヴィクトア。よろしく、ナターリエお姉さま」
「……はい、よろしくお願いします」
「なんだ、ヴィクトア、頬なんか染めて、俺の婚約者だぞ? 変なことでも考えてるのか? 下品な奴め」
「あらやだ、アルバンったらもう。ごめん遊ばせ、ナターリエ。アルバンはいつも言葉が過ぎてばかりですわ。きちんと叱っておきますから。よろしければヴィクトアとも仲良くしてあげてくださいませ。こんな状況ですもの、外に出られなくて気がめいってますの」
「あ、遊んでくれるの? ……ビルギットお姉さまも一緒に?」
「わたくしは忙しいですもの。冗談言わないで頂戴」
「えへへ、ごめんなさい」
少し物言いはきついが、仲の良い兄弟なのだろうとヴィクトアの反応を見て思う。
それに緊急時の子供は孤独なものだ。被害があった場所に行くまでの間、たしかにナターリエは暇になる。
たくさん遊んであげることにしようと心に決めて、ナターリエは屋敷に迎え入れられた。
しかし、ギースベルト侯爵家での日々は始まってすぐに終わりを告げる。
ナターリエは、まだまだ若く悪意にも危険にも鈍感で、言われた通りにヴィクトアと心血注いで遊んでいた。
彼はとても退屈していたらしく、ナターリエと遊べることをすごく喜んでいてそのことも異変に気が付くのに遅れた理由だった。
気が付いたときには既に遅く、使用人によって取り押さえられて、ナターリエの荷物とお付きの侍女がぐったりした様子で運び込まれてくる。
近いうちに被害のあった領地の西側に案内してくれると聞いていたので、小さなトランクに入れられたままのナターリエの荷物を、アルバンは了承なく勝手に開けて、適当にあさる。
それから舌打ちをした。
「っ、ど、どういうつもりですか! どうしてこんなことを、意味が分かりません!」
ナターリエはアルバンとビルギットの二人に悲鳴のような声で疑問を問いかける。
すると使用人に体を強く押さえ込まれて、たまらず手をつかづに土下座をするような形になって頬を床にこすりつけた。
その様子にビルギットは今まで見たこともないような邪悪な笑みを浮かべる。
「ふふっ、無様ですわ」
「はぁ、何かいいものを持ってきているんじゃないかって期待していたのに、駄目だこいつ金目のものを一つも持ってない」
「あらそうですの? なんだ、ならお前は用無しですわっ」
ナターリエの疑問に答えることなく二人はそうして会話をし、最終的にはナターリエの顔面を蹴り飛ばす。
「っ、ぐ」
「あら? アルバン見なさい、ほら”イイモノ”あるじゃありませんの」
「ん? ああ、たしかに」
痛みに顔をしかめて荒い呼吸をするナターリエに、ビルギットの手が伸びてくる。
一瞬なんのことか理解できなかったナターリエは反応が遅れて、ドレスの襟首から露出したネックレスを取られる。
ビルギットが強くつかんだせいでチェーンが外れてブチンと音を立てた。
「え? あ、っ返してください! それはっ母の形見なんです!!」
彼女の手に収まった水色の魔石がついたネックレス。兵士に押さえつけられるのも気にせずに、ナターリエはぐっと体に力を込める。
「なかなかのシロモノじゃないの、悪くないですわ。ふふっ、どう?」
「おお、いいんじゃないか? 姉さま、それにしてもこれで本当にうまくいくのか?」
「返して!! った、大切なものなんですっ!! お願いっそれだけは!!」
「当たり前でしょう。あのお金があれば、どんな贅沢をしたって遊んで暮らしていけますわ」
「聞いてくださいっ、お願いします!! 返してください!! ビルギット様!! アルバン!!」
「……」
「……」
何やら、話がある様子だった二人だが、その二人のことを慮って黙っていられるほどナターリエはなりふり構っていられなかった。
彼らの気を引こうと叫んで、必死にアピールすると彼らは二人して黙ってナターリエの方へと向く。
「うるさいな。……ははっ、まぁ、いいか。ナターリエが早くこうして来たからこんなに早く方がついたんだ。少しは大目に見てやるよっ」
大目に見ると言いつつも、アルバンはナターリエの頭を踏みつけて酷い痛みが襲って肩をすくめて耐え忍ぶ。
本当に何故こんなことになっているのか理解もできなければ、賢い手立てを思いつくこともできずに、ナターリエは意味が分からず、涙がポロリと零れ落ちた。
「そうですわね。せっかくなら、こうしてわたくしたちの計画を成就させてくれたあなただけに、事情を教えてあげようかしら?」
「なんだよ。そんなだるいことしなくてももう適当にいたぶって引き渡せばいいだろ?」
「いいじゃないの。こんなに元気がいいのだもの、少しぐらい精神的ダメージを与えた方が言うことも聞きやすいですわ」
退屈そうにするアルバンをビルギットが説得し、彼はストレスを発散し切ったのかソファーに戻ってどっかりと座った。
そしてナターリエの顔を少し持ち上げて、ビルギットは少し優しい声で言った。
「実は魔獣の被害なんてないんですのよ。それに見せかけて、お父さまを亡き者にして、アルバンに爵位を継がせる。そしてお優しい隣の領地であるフリューア伯爵家から出来るだけ金銭を吐き出させる」
彼女は傷ついて怯えているナターリエに淡々と伝える。
「そして、しばらくして嫁にあなたがやってくる。するとフリューア伯爵家はとある勢力の襲撃にあって使用人もろとも滅びてしまいますの」
「……え?」
「それはなぜか、あなたが、領地の収入をごまかして差額を着服して贅沢をしていたからですわ。その証拠を消すために屋敷は跡形もなく燃やされて一人残らずあなたの親類は殺される」
「な、なにを言ってるのですか?」
「だからあなたの罪の話ですのよ。そういう事になっていて、わたくしたちはそれを告発しますのよ。もちろん、復興金の事も書類も何もかも失われているのだから無かったことになりますわ。残るのはあなたの罪だけ」
「は、は? なに、何もしていません、私は」
彼女の言葉の意味が理解できず、ナターリエはフルフルと震えて、顔を青くする。
彼女の言葉の意味も理解できなかったが、それ以上にもしかしてと思う気持ちが大きくなって、恐ろしい。
今、実家は襲われているのか、もしくは襲われた後なのか。心配する気持ちと恐ろしいと思う気持ちがないまぜになって呼吸が荒くなる。
そして、彼らがそんなことをする理由をやっとナターリエは理解できた。
それは彼らがフリューア伯爵家から復興金を引き出すためによこした、書類の数々だ。魔獣の被害がないのならばあの書類は偽装してあるものだ。
ああいった書類を偽装して証明し契約を結んだ場合には詐欺罪が適用される。
だからこそ、安心してフリューア伯爵家も金銭を渡していた。
しかし、屋敷ごと証拠を隠滅されたらどうしようもない。
フリューア伯爵家がお金に困っていたのは事実だ、そこでこんな事件が起きて上級貴族からそんな罪をでっち上げられたら……ナターリエはどうにもできない。
今更ことの重要性が理解できて、わなわなと震えてしまう。
呼吸が短くなって、兄の顔や、使用人たち、父の顔が浮かんでは消える。
しかしそのナターリエの顔を見て、ビルギットは、ぷっと吹き出して笑う。
「うふふっ、あらやだ。おかしな顔、最高ね」
そこでナターリエの中の何かがブチンと音を立てて切れたのを覚えている。
それからナターリエは意気消沈したふりをして、隙を見て魔法を駆使して逃げ出した。
幸い彼らは執拗には追いかけてこなかった。
そしてそれから身を隠し、事実を確認し、本当に彼らが言ったことになったのだとナターリエは知った。国から追われる身になったナターリエでは、彼らの墓の前に立つこともできない。
屋敷を出る時までナターリエの家族は元気で彼らは、きちんと生きていたのに。今はもうナターリエには何もなく、ただ意味もなく生きているだけだ。
それからずっと三年間復讐にとらわれている。
ナターリエは出来る限りナイフの血をふき取ってそれからゆっくりとビルギットの元へと向かった。
彼女の寝室はアルバンの寝室からほど近い場所にあり、静かに中に入る。そっとベッドのそばによって彼と同じようにナイフを突き立てようと両手で握りしめた。
「っ」
しかし彼女は何かを察知して、ぱっと目を開いてものすごい形相でナターリエへと視線を向ける。
月明りしかないこの部屋で、ナターリエとビルギットは三年ぶりの邂逅を果たした。
けれども言葉を交わすことなどなく、ナターリエはすぐにナイフを振り下ろす。
反射的にビルギットはそれをよけ、枕にずぼりとナイフは埋まる。
「っ、ナ、ナターリエ、お前、生きてっ、ひいっ」
すぐにベッドから起き上がり、混乱したような声をあげて逃げ出そうと移動する。
最中、彼女は咄嗟に炎の魔法を使ってぶわりと熱波がナターリエを襲う。
しかし引くことはなく、ナターリエはすぐに自分の火傷を水の魔法で治しながら彼女をベッドに引き倒し、ナイフを振り回し、もみ合いの末に彼女の上にまたがった。
「はっ、っ、ビルギット……ビルギット! ああ、せっかく苦しめずに殺す計画だったのに、起きてしまいましたか」
「ぅ、ぐっ、った、助けなさいよ! 誰か来てくださいませ!!」
すぐにナイフを振り下ろそうとするナターリエを彼女は下から抑えて、声を振り絞って助けを呼ぶ。
「無駄ですよっ、ここ三年、この時だけを待って準備してきました。誰も今日はっ、助けません」
「ふ、ふ、ふざけんじゃありませんわ!! ナタ、ナターリエ、復讐のつもりですの? ば、バッカじゃありませんの?」
「大人しく、死んでください、ビルギット」
「こんなをことしても何の意味もありませんわ! 何のいみもっ~~!」
体重をかけて、胸元にナイフを近づけていく。ビルギットは必死に抵抗をしつつも、彼女は謝ることもせずにさらにわめく。
「暗殺だなんてっ、陰険な! あんな過去の事にとらわれて、お前は性格が悪いんじゃありません? こんなっ」
「っ、大人しく、死んでください……」
「なんでわたくしが死ななきゃいけないのよ! この、わたくしに利用してもらっただけありがたく思いなさいませぇっあぅ、っ~~ぐあぁ!!」
……この人はまったく変わっていないんですね。変わっていたとしても、許しませんが。
考えながら深く深くナイフを突き立てていく。固い筋肉を突き抜けてずぶりと差し込むとどくどくと血があふれてきて、ビルギットは力を失っていく。
彼女の首元にはあの日に奪われた母の形見が輝いている。
家宝にするぐらい良い品だ、価値を感じて売り払わずに自身で持っていたのだろう。彼女の手元に残っていてよかった。そう考えながら丁寧にチェーンを外して手に取った。
そして、なくなった母の最後の苦しげな表情を思い出す。そして父や兄の事も。
……私たち一族もろとも殺しておいて、のうのうと生きていられるなんて、そんなわけないじゃないですか。
因果は必ずめぐるんです。そうでなければ、私は家族に顔向けができない。
その復讐を果たした時、たとえナターリエが何者になっていようとそれだけは事実であってほしかったのだ。
ナターリエは最後に血まみれのまま、ヴィクトアの元へと向かった。
ベッドでぐっすり眠っている彼の元へと向かって、ゆすり起こす。
彼は目を覚ましてぼんやりとしたまま、目をこすってそれからぱっと表情を明るくした。
こんな異常な訪問者にも彼は素直だった。
「ナターリエ……ナターリエだ。……夢……なのかな」
ぽつりとそんなことを言う。
三年前から彼は成長していて、少年というよりも青年に近い子供になっている。
混乱している様子の彼に、ナターリエは血の付いたナイフと手を見せて、人を殺した興奮が冷めやらぬ状態で少し息を切らして彼に言う。
「……私は……あなたの、大切な兄と、姉を奪いました」
「え? ……ん? どういうこと?」
「殺しました。私情で殺しました」
「…………」
浮かべていた笑みは消えて、彼は感情が抜け落ちたような顔をした。
ナターリエの復讐は終わった。けれどもまだ必要なことがあった。
それはこの復讐を生産的なものにすることだった。
「ナイフで刺して、今頃二人の寝室はひどい事になっているでしょう。近寄らない方がいいと思います」
「……」
「久しぶりに会って唐突に申し訳ありません。ただ、きちんと伝えておこうと思いまして」
ここに来るまでに調べて分かった事だが、ヴィクトアは彼らとは母が違うらしい。だからこそ彼はフリューア伯爵家の滅亡については年齢的に見ても関わっていないと判断した。
そんな彼を殺すつもりもないし、この屋敷の協力者も首謀者の二人の言う事を聞いていただけなので許すつもりでいる。
現に罪の意識を抱えていた者が多く、協力をしてくれたから、こうして復讐を遂行できた。
だから許すと決めた。
ただそれだけで、復讐をして、ナターリエはスッキリして物語は終わりというわけにはいかない。
「私はあなたの大切な人の命を奪い、もう二度と彼らに会うことはかなわないでしょう。……どんな気分ですか」
「……わ、わかんない」
漠然と言う彼に、ナターリエはすこし動悸も収まって出来る限りの笑みを浮かべた。
あの日にビルギットが浮かべたような性根の悪そうな笑みを。
「大丈夫。わかる時がきますよ。それがどういう気持ちか」
復讐は何も生まないとよく言うが、何も生まないことはない。
復讐をすると、また誰かの大切な人が奪われる。
奪われたナターリエが、復讐に走ったように、奪われた人間は奪い返すことでしか、その気持ちを消化することができない。
「私は元フリューア伯爵領地にいます。どうぞ是非これをもって気持ちの整理がついたら来てくださいね」
ナターリエは復讐をしないことが彼の為になると何度も思った。しかし、それでは思いとどまれないほど強い気持ちに駆られていた。
だからこそ止められなかった。
復讐をすること以外、何も目に入らず、何にも意識を逸らせない。
ナターリエの人生はそれだけになってしまった。
だからこそ、せめて、生産的に。彼にとってそうなれば。
それがナターリエの出した答えだ。
「ま、待って、待ってよ! なに、全然わからない、お兄さまとお姉さまを殺したって、なんで?!」
立ち上がって、彼のそばにナイフを置いて去っていく。
奪ったのなら、奪い返してもらえるように。人殺しになったなら、殺してもらえるように。
せめて彼が、復讐を果たして前に進めるようにするために。
こうすることが唯一の方法だと思う。
……ヴィクトアは何も悪くありませんから。私の起こした殺人で彼の人生をダメにしてしまわないように、示していくしかないんです。
「ナターリエ! 待って、私、ずっとあなたが忘れられなくてっ、どうしてこんな、こんな怖い事っ、ナターリエッ!!」
彼の叫ぶ声が聞こえる。
いつかきっとちゃんと心の整理をつけて復讐を果たしに来てくれるだろう。
それにナターリエだって人の命を奪ったままのうのうと生きられるだなんて思っていない。
せめて、愛する人を奪ってしまったヴィクトアに望まれて死ぬのが多少の罪滅ぼしだ。
部屋を出て廊下を歩く。
……ああ、でも……もしかしたら、せめてヴィクトアにとって生産的に復讐を。なんて彼のことを想っているようなつもりでいましたが、違うのかもしれません。
私が少しでもその罪を軽くしたいと思って、罪滅ぼしをしたいから自己満足にそんな言い訳を考えていたのかも。
そう思うとどうしようもなく自分が醜くて情けない。
スッキリするはずの復讐も終わってみれば、あっけない。
ただ手の汚れた咎人が一人残るだけで虚しいものだった。
けれども、彼が自分の気持ちを消化するためにナターリエの命を狙いに来るのならば、まだ生きなければ。そう思って一歩一歩ふらつく足で進んでいったのだった。
ナターリエは元フリューア伯爵領地に隠れ住んでいた。
隅から隅まで知った場所だ。簡単には見つからない場所も知っているし、何より領民たちからフリューア伯爵家は慕われていた。
皆、ナターリエだけでも無事でよかったと心から喜んでくれる。
しかし彼らの生活は悲惨だ。
領民を守るための魔法道具は動作しておらず、誰もが不安な日々を送っている。
だからこそナターリエは、水の魔法を使って小さな診療所を開き、ひっそりと領地の端で暮らしていた。
それからしばらく歳月が過ぎる。目的を失ったナターリエは時間がどれぐらい経っているかなどさして興味もなく、ただ小さな小屋の中で人を癒して生活を続けていた。
「ナターリエ様っ、ありがとう。お父さんとお母さんはこんなちっちゃい傷でナターリエ様のことを煩わせるのはよくないって言ってたけど、本当によかったの?」
小さな少年がナターリエに問いかける。
彼は、買い出しに行った際に村の中を友達と走っているところを見つけて治療の為に連れて帰ってきたのだ。
しかし両親がそんなふうに言っていたとは驚きだ。
「いいんですよ。私はただ、自己満足でこうしているだけですから」
「そーなんだ! お母さんやお父さんにも言っとくね!」
「そうしてください。今の私に遠慮など不要なものですから」
そう言って元気に走り去っていく少年に手を振る。
本当に彼らの為を思うなら、ナターリエはもっとたくさん出来ることがあると思う。
この領地の過去の出来事を暴き出し、正当な管理者を置いてもらって、この土地の人々を助ける。
そういうことが必要なはずだ。
しかし、それが出来るほどナターリエに時間が残されているとは思えなかった。
少年が去っていくのと入れ違いに、何やら大仰な馬車が止まる。
その様子に、ついに来たのかとナターリエは玄関口で様子を窺った。
中から降りてきた人物は、また背が伸びて随分と大人らしくなっている。
可愛らしさはもうあまり感じられない大人の男性だ。
彼は従者を伴わずにナターリエの小屋がある敷地に一人で踏み入ってきた。
「……」
すでに少し距離がある時点から、目が合っていて、その強い意志をはらんだ瞳に本当にヴィクトアかと思うほどだった。
しかしやってきた彼が声をかける前に、ナターリエは手を差し出して口を開く。
「……ナイフを、あの時渡したでしょう。持ってきて欲しいと言いましたね?」
なにも提案できずに、その腰についている大剣で切り刻まれては困るので先に言った。
しかし彼は出会い頭のその言葉に、今までのきりりとした表情をすっかりきょとんとさせてナターリエに言う。
「え? 持ってきてないけど。物騒だし」
「…………」
「それより、久しぶりナターリエ。あの日以来だ。あなたという人はいつも唐突で私は振り回されてばかりだね」
ニコリと笑みを浮かべてナターリエを見下ろして言う彼に、ナターリエの方が間抜けで呆けた顔をしていたと思う。
……おかしいです。彼がナイフを携えて現れ、やっと見つけたなんて言って、私を刺し殺そうとするはず……ですのに。
「でもそれも今日で終わりにしよう。迎えに来たよ。あなたのおかげで腹違いの兄や姉から爵位と権利を取り戻すことができたんだ。あなたは何か勘違いしていたようだけど」
「……」
……そうしたら私は、彼を人殺しなんかにしないために、自死するための心づもりをしていました。
自分で考えたシナリオを頭の中で再生しているナターリエは、混乱して彼に手を取られてもただ茫然と見つめるだけだった。
言っていることが頭に入ってこない。
この時をいつも心待ちにしていたというのに、なんというか本当に想像と違う。もしかしてナターリエがうまくやれなかったからこうなったのだろうか。
「この領地もギースベルト侯爵領の一部にすることができたんだ。過去の出来事を暴くのは時間がかかったけど、そのおかげで正当にあなたを娶ることができる」
「め、娶る??」
ぎゅっと手を握られて紡がれる言葉に、ナターリエは目を白黒させながらもやっとの思いで返した。
「うん。私はずっと焦がれていたんだ、あなたに。いつもほんの短い時間しか会っていないのに不思議だよね」
彼はなんの躊躇もなく頬を染めてナターリエに告白してくる。
その様子に、白昼夢でも見ているような気持ちになって、開いている方の手で自分の頬を思い切りつねってみた。
「い、痛いです。夢じゃないんですね」
「え?! 夢かと思うほど嫌だった?」
「い、いえ。ああ、ええと、すみません。私、こんなはずじゃなかったと思ってしまって」
「そうなんだ。じゃあ、あなたの予想だと私は何をするはずだったの?」
「復讐を。前に進むための生産的な復讐を私にしに来たのだと、しに来るべきだと思っています」
「……」
「あなたの大切な人を殺した私は、たとえどんな理由があっても許されるものではないでしょう? だから私はあなたに示したはずなんです、私があなたの復讐相手だって。復讐はやめられない、でも誰かが前に進めるような形でって、だから、ナイフを……渡したんです」
問いかけられて、ナターリエは混乱に任せて、自分の行動原理を彼にペラペラと話す。
するとヴィクトアは、しばらく考えて、それから変わらない笑顔でナターリエを見透かしたみたいに言った。
「なんだ、ナターリエは、罰されたかったんだ?」
「っ……」
予想外の言葉だけれど間違っていない、彼の為になんていう言葉は自分に対する方便でしかない。
しかしまさかそれを彼に言われるとは思っていなかった。
復讐をしてしまって多くを奪った彼に、こんなに平然とナターリエの抱いている罪悪感を言い当てられると、もう情けないし、恥ずかしい。
「じゃあ、あなたは私に殺されなくてもいいんでしょ? 罰を受けたいだけなら私の思い通りになってくれるだけでもいいはず。私はあなたに出会った幼いころ、ずっと与えられなかった大切なものをあなたから貰った」
手を強く引かれて玄関ポーチから足を踏み出す。
こんなつもりはなかったけれど、ナターリエの中に彼に抗えるだけの正当性はない。
「嬉しかったんだ。それからずっと鮮烈なあなたを想ってる……一緒に来てよ。ナターリエ、私の事を待っていてくれたんだよね」
「……」
その通りだ。ナターリエのこの醜い命は、ヴィクトアの為に使うと決めていた。
だからこそ予想外でも抗う事が出来ない。
一つ頷いて、小さな小屋を出る。
あの時にした復讐の結末は、ナターリエの死というエンディングを迎えてスッカリ終わることはできないらしい。
手を引かれて歩き出して、ナターリエは世の中うまくいかないものだと思う。
人生がもう終わったとすら思ったのに、まだまだ続いていきそうな様子にずしっと体が重くなる。
人を殺した罪からは今もこれからも解放されることはない。
けれども、ナターリエが多くを奪った彼が望むことならば、向き合っていかなければならないだろう。
そう心を改めて、自身が死んですべてをうまく収めようという思考をやっとナターリエは手放したのだった。
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