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8話 ある日の日常



白刃狼の襲撃から1年が経った。


村には平穏が戻り、冒険者たちの巡回も定着しているおかげで、魔獣による襲撃は一度も起きていない。辺りには雪の記憶をかき消すように明るい日差しが降り注ぎ、豊かな土を育む風景が広がっている。村は穏やかそのもので、日常を取り戻していた。村の畑では男衆が畑作業に従事し、婦人たちはそんな旦那を支えながら、子供たちの面倒を見ている。一人の母親として彼女たちの強さには畏敬の念を抱くしかない。


さて、当然だが私も歳を重ねたし、それはクロナもワンも同じだ。

クロナは、この1年で目覚ましい成長を遂げ、辿々しかった口調も驚くほどしっかりしたものになった。相変わらず甘えん坊ではあるが、それがまた微笑ましい。

ワンも成犬に成長し、今ではヴィム爺の元でウサギ狩りの訓練を受けている。訓練のおかげで村の子供たちから「ワン隊長」と呼ばれるほどになっていた。彼もまた、この村の立派な一員だ。




「お母さーん!商人のおじさんが呼んでるよ〜!!」


庭で畑を耕していた私の耳に、クロナの弾むような声が飛び込んできた。振り返ると、彼女はトテトテと小さな足音を響かせながら駆けてくる。その姿に私は思わず手を止めてしまう。


「クロナ、お前もだいぶ足が速くなったな。転ぶなよ」


「えへへ、転ばないもん!あっ、それとね!おじさんがすっごく面白い顔してたよ!」


「面白い顔?」


首を傾げながら農具を置き、手袋を外して立ち上がる。そして、駆け寄ってきたクロナの頭を撫でる。少し伸びた金髪が指に触れるたびに、彼女がどれだけ成長したのかを実感する。


「ノリスか……さて、何を持ってきたのやら」


クロナと手を繋ぎながら、村に定期的に訪れる交易商人の元へと足を運ぶ。


再会の挨拶


「……たまげた、本当に娘ができてたとはな」


ノリスは帽子を脱ぎ、私とクロナを交互に見ながら驚いた顔をしている。長旅の疲れを隠せない顔だが、その表情には心底からの驚きが浮かんでいた。


「1年もあれば人は変わるものだよ、ノリス」


そう言いながら軽く笑みを浮かべると、ノリスは口髭を撫でながら怪訝そうに私を見た。


「しかし、ソックリだな……いや、というか本当に血が繋がってないのか?元が他人でもここまで似るもんか……」


「そんなの関係ないもん!!私のお母さんはお母さんだけ!」


「わ、悪かったお嬢ちゃん……軽率だったよ」


泣きそうになっているクロナを抱き上げ背中をそっと撫でる。安堵したのかクロナは私の肩に顔を埋めてへにゃりと笑った。


「ノリス、血の繋がりは然程重要じゃないんだ。私の娘はクロナだけで、似てる似てないは私もクロナも気にしない。…クロナと一緒なら私はそれで……満足さ」


「すげぇ……あの“鏖砕クランヴォール"が母親の顔してやがる……馴染みの連中が見たら目ん玉飛び出すぞ、こりゃあ……」


「それは困るな。まだ、そこまでの勇気はない。このことは今までと変わらず内密で頼む。」


「冗談だ、心配すんな。大事な客の情報売るような真似はしねえよ。この商売は信頼が命だからな。さて、じゃあ今日の品を見てってもらおうか!」


ノリスは軽く手を振りながら、品物を積んだ馬車へと案内する。





ノリスの馬車には、見事な手作りの道具や装飾品、保存の効く食料品、さらには可愛らしい人形まで並べられていた。クロナは目を輝かせながら、品物をじっと見つめている。


「クロナ、欲しいものがあったら遠慮なく言うんだぞ?」


「やったー!お母さん大好き!」


「オマケに親バカときた……」


「なんのことか分からんな」


クロナが嬉しそうにはしゃぐ姿を見て、私の口元も自然と緩む。そんな光景を横目に、ノリスは軽く笑いながら品物を広げて見せてくれる。


「この人形なんてどうだ?お嬢ちゃんにピッタリだと思うぜ。グリネスカの人形だ、ここら辺じゃ貴重な逸品だ!」


「わあっ!かわいい!!お母さん、これ!」


「ふむ、いいだろう。ノリス、これを頼む。」


「へいへい、太っ腹な親だな……他に何か見るか?」


「保存食を少し見ておきたい。偶には彩り豊かな食事にしたい」


「了解、こちらだ。乾燥果実とかスモークした肉もあるぞ。」


「それは助かる」


クロナが人形を抱きしめながらニコニコしているのを横目に、私は保存食の袋をいくつか選ぶ。ノリスは慣れた手つきで代金を計算しながら口を開いた。


「しかし、本当に変わったな、イーファ。前は近寄りがたい感じだったが、今じゃすっかり母親らしい顔になりやがって」


「そう見えるなら、少しは成長したということだろう。私自身驚いている部分もあるからな」


「冗談抜きでな。ま、いいことだよ。アンタが幸せそうで俺も嬉しいぜ」


「……そうか」


幸せ————その言葉に、一瞬だけ胸が温かくなる。確かに今の私は、クロナや村の皆と共にいるだけで満たされている気がする。過去に囚われていた頃には考えられなかったことだ。今では、あの時の夢を見る頻度も随分と減った。これも全てクロナやワン、村の皆んなのお陰だろう。


「次に来た時は、新しい商品じゃなくてお揃いのリボンでも持ってくるさ」


ノリスの冗談めかした言葉に、私は少しだけ微笑み、クロナの髪を撫でながら「それも悪くないな」と呟いた。


こうして、たわいのない日常が今日も流れていく。





ノリスが去った後、私は荷物を運びながら我が家へと戻った。夕焼けの光が小さな家の窓に反射して、いつもの景色が少しだけ違って見える。


後ろをついてくるクロナは、手に抱えた新しい人形を胸の前で嬉しそうに揺らしながら、楽しげな歌を口ずさんでいる。


「クロナ、その人形はもうお気に入りか?」

「うん!だってお母さんが買ってくれたもん!」


子供らしい無邪気な笑顔に思わず胸が温かくなる。荷物を台所に運び終えた私は夕食の準備を始めた。クロナも人形を手にしたまま台所のテーブルに座り、小さな手で人形を動かしながら一人で遊び始める。そうこうしてると、訓練を終えたワンが扉の隙間から帰ってきた。


ただいまとばかりに一吠えするワンに私もクロナもおかえりと返すのだった。




野菜を切りながら、時折クロナが人形に話しかける声が耳に入る。今日買った人形にはすでに名前がつけられていた。


「ねえ、ルミちゃん!お母さんのごはん美味しいよ、楽しみにしててね!」


どうやら人形の名前は「ルミ」らしい。私の知らないうちにクロナは自分だけの物語を紡ぎ始めていた。そんな彼女の姿を眺めながら、私は野菜を煮込む鍋に火をかける。


かつて私が旅の中で味わった料理を少しずつ思い出しながらクロナが気に入るようなアレンジを加えるのも日課になっている。クロナの好物は、柔らかく煮込んだ野菜と、少しだけスパイスを効かせたスープだ。




「できたぞ、クロナ。手を拭いておいで」


湯気を立てるスープとパン、そしてスモークした肉のプレートをテーブルに並べる。クロナは人形をそっと椅子に座らせると、急いで手を拭きに行った。戻ってくると、きちんと椅子に座り直し、手を合わせる。


食事の前の祈りの時間だ。


手を合わせ、今日も一日無事に夕食にありつけることを感謝する時間。私は神や宗教というのはよく分からないが、サーシャがよくやっていたのでいつの間にか私にも習慣付いていた。


「…よし、さぁ、食べよう」


「いただきまーす!!」


その元気な声を聞くたびに、この生活の大切さを思い知る。以前は、こうして誰かと食卓を囲むという日常がどれだけ尊いか、気づいていなかった。


クロナはスープを一口飲むと、目を輝かせながら言った。


「お母さん、今日のスープもすっごく美味しい!」


「そうか。今日は少し香りの強いスパイスを入れてみたんだが、気に入ったか?」


「うん!ルミちゃんも喜んでるよ!」


テーブルの端にちょこんと座らせた人形にも、クロナはちゃんとスープの感想を伝えている。その愛らしい姿に、私の頬が思わず緩む。


「ルミちゃんにはまだ早いだろう?」


「えー!ルミちゃんだって食べたいって言ってるよ!」


私たちの会話に、ワンが椅子の下から首を伸ばして小さく吠える。


「ワンも食べたいのか?」


「ワンもお肉大好きだもんね!ねー、お母さんワンにあげていいー?」


「仕方がないな……ほら、少しだけだぞ。」


小さな皿に少量のスープと干し肉を取り分けると、ワンはしっぽを振りながら嬉しそうに干し肉とスープを食べ始めた。



夕食を終え、食器を片付けながら、クロナと人形が仲良く遊ぶ姿をそっと眺める。人形を抱えて何かを語りかけるクロナの声は、静かな夜の中で温かく響いていた。


あの子の笑顔を見るたびに思う。


この生活を守らなければいけない


それはクロナを拾い、母親になると決めたあの日から、私の中で変わることのない想いだ。けれど、時折胸の奥に刺さるのは、この生活がいつまでも続くとは限らないという漠然とした不安。魔獣との戦いがまた訪れる可能性もある。あの災厄の王と戦った日々が夢でなかったように。


「……クロナ、寒くないか?」


「うん!あったかいよ、お母さん!」


素直に答える彼女を見て、私も椅子に腰掛ける。そして、その小さな頭をそっと撫でる。




「ねえ、お母さん」


「なんだ?」


「ルミちゃんと一緒に旅をする夢を見たいの!あっ!もちろんお母さんも一緒だよ!


「ほう、どんな旅をしたいんだ?」


クロナは目を輝かせながら語り出す。


「ルミちゃんがね、すっごく大きくなって、私を背中に乗せてくれるの。それでね、雲の上まで行って、空の国を探しに行くの!」


「……空の国か。面白そうだな。」


「でしょ!お母さんもいれば怖いものなしだよ!魔法でビューンって!」


「ふふ、それはどうかな。私が空を飛ぶにはもう少し工夫が必要だからな」


クロナは人形を両手で持ち上げて「ルミちゃんがんばろうね!」と無邪気に笑う。その笑顔を見ていると、また心が癒されていくのを感じた。



夜も更け、クロナをベッドに寝かせた後、一人で椅子に座る。暖炉の火がパチパチと音を立て、部屋を優しく照らしている。クロナの寝顔は穏やかで、まるで天使のようだ。


私は静かに息を吐き、膝の上で手を組む。


「サーシャ……私にこんな日が来るなんて思わなかったよ」


呟く声は、誰にも届かない。それでも、この穏やかな日々を与えられたことに感謝せずにはいられなかった。たとえ何が起きようとも、この生活だけは絶対に守る。そう心に誓いながら、私は立ち上がり、暖炉に薪を足した。


「さて……私もそろそろ休むとしよう。」


静かに部屋を見回し、クロナとワンが安心して眠る姿を確認してから、私はそっとベッドに潜り込んだ。


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