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7話 笑う資格



腰の大剣—————「アリストリス」は、災厄の王との戦いの道中、偏屈なドワーフの職人に鍛え上げてもらったものだ。漆黒の刀身には、中心を貫くように一筋の金色の流星が走り、黒と金の対比が絶妙な輝きを放っている。

この設計にはサーシャも加わっていた。彼女が何を思い、この意匠を施したのか、今では知る術もない。


アリストリスを抜く。手に馴染む感覚は、十年前とは少し違う気がした。


「……囲まれたか」


イーファの言葉を裏付けるように、雪を掻き分け、姿を現す無数の白刃狼。逆立った白い毛、針のように鋭い尻尾、ナイフのような爪————その姿は荒々しい獰猛さを象徴していた。30を優に超える群れが、静かに彼女を取り囲む。


風が吹き荒れる中、冷たく澄んだ空気が凍るような緊張を纏う。イーファの琥珀色の瞳は、群れを従えるボスを捉えていた。赤い四つの眼が、吹雪の奥からじっとこちらを見据えている。



「……なるほど、“暴食”の眷属か。」


イーファは冷静に分析を進める。

白刃狼のボス、そしてその異常な毛並みと涎……暴食の獣に繋がる特徴を備えている。災禍の魔獣「暴食の獣(カダルヴォルン)」は、かつて災厄の王の従者として戦場を駆け、恐怖を撒き散らした最悪の魔獣の一体だ。


災禍の魔獣と恐れられた三体の魔獣


"暴食の獣(カダルヴォルン)"・"憤怒の獣(グランダンヴォルグ)"・"絶望の獣(ドゥルフヴォルタ)"の三体から成る最強・最悪の魔獣、そして眷属とはそれらから派生した強力な魔獣達の総称。



「……災厄の王は滅び、主たる暴食の獣すら消え去ったというのに、その眷属がこの地に現れるとはな」


涎が地面に垂れ、ジュッと雪を溶かし、黒い染みを作る。酸性の唾液をまき散らす牙が、わずかに開いて威圧感を示している。


「私のことを憶えているか?」


イーファは口元に微笑を浮かべ、アリストリスを握り直す。だが、心は微笑どころか緊張に満ちている。10年間の鈍った体が、この群れに、この魔獣にどれだけ通用するのか——————戦士としての残った力を試される時が来た。



一瞬の静寂。雪の中、白刃狼の群れが同時に唸り声を上げる。全身を震わせて、獲物を襲うタイミングを見計らっている。


「……来い」


その言葉を合図にしたかのように、雪を弾き飛ばして数匹の白刃狼が飛び掛かる。その動きは疾風のように速い。歯を剥き出しにして襲い掛かる一頭に、イーファは一瞬の躊躇もなくアリストリスを振るった。


「動く…な」


漆黒の刀身が空気を引き裂きながら振るわれ、白刃狼の首を綺麗に斬り落とす。切断面から黒い血が噴き出し、雪に染み込む。勢いよく突進してきた二匹目は、そのまま大剣の腹で叩き潰されるように吹き飛ばされた。


更に突っ込んできた2匹の白刃狼に向けて、イーファは踏み込む。


——————影が交錯


2匹の白刃狼の身体が斜めにズチャッとズレ落ちる。


「数は多いが、動きは単純……」


瞬間的に数匹を倒したものの、群れの攻撃は止まらない。右から左から、次々と牙に爪と迫ってくる。イーファは絶え間なくアリストリスを振るい、接近する魔獣を正確に仕留めていく。大剣の重さは衰えた筋肉に堪えるが、それでも体はまだ戦い方を覚えていた。


「ちっ……!」


背後を取られそうになるも、イーファはすぐさま魔力を込め、左手で結界を張る。白刃狼の一匹が牙を突き立てようとするが、目に見えない壁に阻まれて跳ね飛ばされた。イーファはそのまま結界を白刃狼の上に複数展開して、押し潰す。肉が潰れる音が響き、また一つ血溜まりが生まれる。


「体はまだ動くな……」


だが、数の力は侮れない。倒しても倒しても、新たな狼が雪の下から湧き出るように現れる。イーファの体力は着実に削られていく。大剣を握る手が痺れ、腕に痛みが走る。かつてならあり得ないことだった、剣を振るだけで痛みを覚えるなどイーファは経験したことがなかった。


「……10年の鈍り、か。」


雪原の寒さと体の鈍りが、じわじわと彼女を追い詰める。それでも—————倒れない理由が今のイーファにはある。



「クロナ……」


脳裏に浮かぶのは、村で彼女の帰りを待つ幼い娘の笑顔だ。その小さな手が自分を信じて握りしめてくれたことを思い出す。愛娘を守るために、この村を守るために、ここで倒れるわけにはいかない。


「私は——————母親だ。」


その言葉と共に、イーファの目が鋭く光る。アリストリスを握る手に再び力が入る。


「あの子が私に生きる勇気をくれる、歩く勇気を、小さな手で情け無い私の背中を押してくれる。悪いな、暴食の眷属」


アリストリスを暴食の眷属に向ける。


「生きる理由ができた、殺されてやるわけにはいかないんだ」


眷属が唸りを上げた。




「フッ——————!!」


アリストリスを両手で持ち、大きく踏み込み斜め下から斬り上げれば、斬撃が地面と雪を巻き上げ衝撃波となって白刃狼を呑み込む。


左右から突っ込んでくる白刃狼にアリストリスを構え直し、回転しながら振えば、見えない斬撃が左右のみならず周囲にいた白刃狼を斬り刻む。


—————蹂躙。そう言って差し支えないであろう光景が広がる。白刃狼の攻撃は掠りもしないがイーファがアリストリスを振れば一度に複数匹が斬り捨てられる。


10年のブランクで衰えたとは言え、イーファはかつてサーシャと共に世界最強と謳われた存在、才能の権化である彼女が一度勘を取り戻せば、所詮は中型の魔獣である白刃狼は敵ではなかった。


「……そろそろお前の番だろう?」


イーファは赤い眼でこちらを見つめる眷属へと目を向けた。群れが殲滅されていっているというのに、ボスたる暴食の眷属が動くことはなかった。ただ、その四つの眼でイーファを睨むのみ。


しかし、既に群れの白刃狼はほぼ全滅、僅かに生き残っているのは眷属の周辺で護衛のように動いていた数匹のみ。


「……来い、終わらせてやる」


眷属が唸り、一層牙を剥く。

それに合わせるかのように雪煙の向こうから残った白刃狼たちが突進してくる。その中に混ざる赤い眼…暴食の眷属が遂に自ら動き出したのだ。


「—————————ッ!!」


イーファは突進してくる眷属以外の白刃狼に斬撃を飛ばし、これを処理する。

その瞬間、目にも止まらぬ速さで加速した暴食の眷属が豪速の矢のようにイーファに突進した。突き立てられる牙をアリストリスで防ぐことには成功したものの、小屋ほどの大きさの眷属の質量に押され、吹き飛ばされてしまう。


しかし、イーファも吹き飛ばされながら斬撃を眷属に向け、放ちつつ、空中で姿勢を直し、地面にアリストリスを突き立て勢いを殺し、眷属に目を向ける。


斬撃によって負傷したのか白い毛の一部が黒く染まっているが、致命傷には浅い。


イーファと眷属の間に距離が生まれた。

すると、眷属の口が光ったと思うと、その口から火炎弾がイーファ目掛けて放たれる。飛来する火炎弾はその高温で雪を溶かしながらイーファに迫るが、イーファも負けじとアリストリスを全力で振り抜き、それによって発生した風圧で強引に火炎弾を掻き消す。



「…どうやらその調子だと満足に人を食えていないな?放浪の果てにといったところか」


イーファがアリストリスを下ろし、眷属に向き直れば、眷属は明らかに疲弊し、体が大きく揺れている。足取りも覚束ない様子でかなり弱っているのが見て取れる。


「…容赦はしない。お前を見逃せば次の犠牲者が出る。…今、この場で始末する」


アリストリスを上に構えて、足に力を込める。一気にその身体から溢れ出た殺気に暴食の眷属は足を引き摺り逃走しようとイーファに背を向ける。


「悪く、思うな」


地面が砕けると同時に、一気に眷属との距離を詰めたイーファは…




—————全力でアリストリスを振り下ろした






「終わりか……少し、疲れたかな…」


深くそれでいて鋭角に抉られた地面と周囲の雪に飛び散った黒い血、眷属の姿は其処になく、雪煙が舞っている。


アリストリスを杖代わりにして、体重を預けつつ、イーファは念の為に魔力探知を最大にして周囲を捜索する。生き残りがいるなら見つけ出して斃さねば…という思いからである。


しかし、魔力探知に反応はなく白刃狼の群れが全滅したことを理解する。


イーファは最後の仕上げだとばかり、白刃狼の骸を魔法で焼却して、他の魔獣が寄り付かないよう処理を終え…村へと帰還した。





雪を踏みしめ、ゆっくりと村への道を進む。倒した魔獣の血や焦げた臭いが鼻を突き、冷え切った体が鈍い痛みを訴える。それでも、深い安堵が押し寄せてくる。


「……これで、ひとまずは。」


アリストリスを鞘に納め、思い返す。久しぶりの戦闘、そして暴食の眷属との戦闘———10年の空白があったとはいえ、私の剣がまだ通用する事実にホッとする。


「だが、もっと鍛え直さねばな……」


吹雪に隠れた視界の中、村の灯りが小さく見えてきた。その光が、私にとって何よりも温かな救いの光。クロナの笑顔、ヴィム爺の小言、村の婦人たちの朗らかな声…私はそこに帰るために戦った。ならば、今だけは堂々と胸を張って帰ろう、そう決意すると不思議と足取りは軽くなった。




村に到着した頃には、辺りはすっかり夜になっていた。集会所の見張りについていた青年に手を振り、帰還を知らせる。中で暖を取っていた皆んなが見張り役からの報告で集会場から出てきて私に駆け寄ってくる。


「イーファさん!無事だったのか!」


「白刃狼はどうなったんだい?」


「村はもう大丈夫なのか?」


一斉に浴びせられる質問に、イーファは苦笑いを浮かべながら頷く。


「心配はいらない。白刃狼の群れは全滅させた。群れの長もこの手で討った。もう安心して休める筈だ」


その言葉に、村人たちは一斉に歓声を上げる。これまでの不安が一気に解けたように、誰もが笑顔を浮かべた。…懐かしいこの漢字に私も笑顔が漏れ出てしまう。


「さすがだよ、イーファさん!まさかこんなに強いなんて思わなかった、まるで英雄みたいだ!」


「本当にありがとう!これで子供たちも安心して眠れるわ!」



次々に感謝の声が飛び交う中、ヴィム爺が杖を突きながら近づいてきた。


「よく戻ってきたの。さすがは……いや、今はただの村人じゃな、イーファよ」


「……村人でも母親でもなくやるべきことをしただけだよ、ヴィム爺」


微笑みを浮かべると、ヴィム爺の長男のエオランが私の肩に毛皮の防寒具を掛けてくれる。感謝を伝えると私はクロナを探す




集会所の一角、ヴィム爺の家に避難していたクロナは眠っていたのか、騒ぎで目を覚ましたようで私と目が合うと勢いよく起き上がり駆け寄ってくる。


「おかあさん!おかあさん!!」


その小さな体が全力で抱きついてくる。私はその小さな体を抱き締め、勢いを使って回転しながらクロナの温もりを感じ取る。


「クロナ……いい子で待っていたか?」


「うん!わんといっしょにまってた!おかあさん、つかれた?けがしてない?だいじょぶ?」


その言葉に、思わず何かが込み上げてきそうになるがそれをグッと堪えて、抱き締めながら無事を伝える。


「少し疲れはしたが……大丈夫だ。クロナが待っててくれたから、帰ってこれたよ」


「えへへ……おかあさんとやくそくしたからね!わたしのおかあさんはさいきょー!!」


その笑顔と言葉に、私の心が少し軽くなる。この笑顔を守り抜けた…そう実感した瞬間だった。




村人たちにヴィム爺が事態が収束したことを伝えると皆んな、それぞれ安心して家に戻っていった。私もクロナとワンを連れ、家に戻り冷え切った部屋に暖炉を灯し、寄り添うように座る。


「わん、あたたかいね~」


クロナが毛布に包まれながらワンを撫でている。その光景に、イーファは自然と微笑む。


「……クロナ、怖くなかったか?」


「ううん!だっておかあさんがいるもん。こわくないよ!」


「そうか……強いな、クロナは」


「いちばんつよいもんのはおかあさんだよ!」


その言葉に、私は少しだけ顔を俯けてしまう。強い…本当にそうだろうか。あの戦いで感じた鈍り、衰えてしまった事実……10年のブランクはそう易々と縮まるものではない。…それでもクロナの信じる「強い母親」でありたいと思う…その結果、クロナが笑ってくれるなら…


「……ありがとう、クロナ。」


静かな夜、クロナが眠りについた後、イーファは暖炉の火を見つめながら小さく呟く。


「……守りたいんだ。お前も、ワンも、村の皆んなも……だから私は、また剣を握ろう……もう…失うのは御免だ…」


アリストリスの鞘が、揺れる炎を反射して煌めいた。



その夜、私は不思議な夢を見る。漆黒の闇の中、どこまでも広がる静寂。そして遠くで聞こえるサーシャの声——————


『イーファ、笑顔だよ!イーファなら大丈夫!笑って一緒に歩こ!私はずっと見てるから!』


目を覚ました時、私はクロナを見たあと窓の外を見る。朝日が上り、私の顔に陽が射してくる。


「……笑顔、か。サーシャ…私はまた笑ってもいいのか…?」


私にクロナのように笑って生きる資格があるのかは分からない。友のことを引き摺り、娘に友の影を視てしまう私はきっと最低の母親だ。


それでも…それでも許されるなら…





——————また笑って生きてみたいと思う


・災禍の魔獣

暴食の獣(カダルヴォルン)」「憤怒の獣(グランダンヴォルグ)」「絶望の獣(ドゥルフヴォルタ)」の三体の魔獣の総称。幾度となく人類を絶望に追いやり、途方も無い土地を蹂躙し汚染した人類の天敵。

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