6話 襲撃
クロナのベッドも完成し、元々一人で住むことを前提にしていた我が家も少々手狭になってきた。とはいえ、生活に苦労するというほどではないので、今のところ問題ない。
むしろ、いま私を最も悩ませる問題…それが
「や〜〜!!おかあさんといっしょにねるの〜!!」
「く、クロナ…嬉しい我儘だがせっかく作って貰ったのだし、使わなければ勿体ないだろう…?ほら、フカフカだぞ?広いぞ?」
「やっ!!おかあさんといっしょじゃなきゃやなの!」
私と一緒に寝ると言って駄々を捏ねるクロナ。確かに嬉しいことではあるが、いつまでも私と一緒に眠る訳にはいかない。一人で寝ることも覚えていかなければ…
私の悩みを他所にクロナのベッドの中心でスヤスヤと眠るワンの呑気さが今は羨ましい。
—————結局、週5で私と一緒に眠ることでクロナは最終的に納得してくれた。
実質、クロナのベッドがワン専用の寝床になった瞬間であった
◇
季節が変わり、冬が到来した。この村にもそろそろ雪が降る季節、冬支度を終えているとはいえ、寒いことに変わりはない。暖炉用の薪を調達し、クロナが寒くないよう昔に着ていた冬用の外套をクロナ用に手直し、ついでにワンにも毛皮の服を着させてみた。
「もこもこあたっかーい!わんもかわいいね〜!」
「わふわふっ!」
今日も娘たちが可愛い
そして、本格的な冬が到来。村にも雪が積もり、その雪を使って村の子供達が自分の家の前に雪男(雪だるま)を作っていく。各家に一体雪男が現れたところで、クロナも作りたいと言い出したので、防寒対策を万全にした上で外に繰り出す。
「ゆきゆきまるめて〜♪」
可愛いらしい自作の歌を歌いながら雪を丸めていくクロナの姿に私の心の中の雪はすっかり溶けて、川になっている。寒いのは苦手なのか私の膝の上から動こうとしないワンを撫でながらクロナが怪我しないよう見守る。
「間違っても雪は食べるんじゃないぞ?お腹壊したら雪男も作れなくなるからな」
「え〜!?ゆきたべちゃだめなの〜!そんなぁ〜…たのしみだったのに…」
「食べる気だったんだな…」
仕方のない子だ、代わりに今日の夕飯は少し豪華にしよう。
そう思い、クロナの雪男作成を手伝おうと腰を上げた瞬間だった
「———————————————ッ‼︎‼︎」
雪が積もり、壁のようになっていた森の方から白い影がクロナ目掛けて飛び出してきた。
兎や鹿のような気配ではない、そう無意識に…過去の経験から判断した私の体は考える前に既に動いていた。
クロナに飛び掛かる白い影を全力で蹴り飛ばす。ブーツがめり込む感触と何かが潰れる音が響くと同時に、白い影はクロナとは真反対の方向に吹き飛んでいく。
「——————クロナッ!大丈夫か、怪我は…怪我はないか…!?」
そして、ハッと我に帰った私はクロナに駆け寄り抱き締める。見たところ怪我はなさそうだが、何が起きたのか分からずポカンとしている。
「よかった…無事なんだな…」
「おかあさん、くるし…」
「す、すまない、思わず…」
クロナの言葉に慌ててクロナを離す。しかし、クロナを背に隠すことは忘れず、ワンが吠える方向にいるであろう影の正体を確認しに向かう。まだ、ポカンとしているクロナにワンを抱かせ、クロナごと抱き上げる。
「おかあさん…どうしたの?どうぶつさん?」
「…だといいのだがな」
クロナの抱きながら影に近付いてみると、周囲の雪が黒く染まっている。その雪の中心にて横たわる存在
針のように鋭い尻尾、逆立った白い毛、ナイフのような爪を持った狼のようなそれは正しく、私が旅の中で幾度となく屠ってきた存在、心の底から憎んでいる…"魔獣"だった。
魔獣の名は白刃狼、その爪は鉄の鎧すら切り裂くことで知られる下位の魔獣。
鈍ってるとは言え、白刃狼如きに後れを取るほど鈍ってはいない。この個体は先程の蹴りで頭部が潰れ、痙攣している。魔獣とは言え、見た目は狼、その惨い光景をクロナに見せないよう眼を手で覆い、更に近付き足で首を踏み抜きトドメを刺す。動かなくなったのを確認して、魔法で燃やして始末を付ける。
「おかあさん、あのおおかみさんってなに?」
「…見えていたのか?」
「うん、ちょっとだけ」
「そうか…あれはな、魔獣と言って人を食べる悪い存在なんだ、クロナを食べようとしたなら私が始末した。…怖い思いをさせてすまない」
そう言うとクロナは首を振る。
「ううん、だいじょうぶ。わんもだいじょうぶだよ、おかあさんがたすけてくれたから」
やはり肝が据わった子だ…この状況でも怖がる素振りを一切見せない、強がりにしてもこの年で気丈に振る舞うなど並大抵ではない。私はクロナを頭を撫でながら奴らの生態を思い出す。
白刃狼は群れで狩りをする。しかし、先程は1匹だけで襲ってきた。となると群れから逸れたか…————————襲撃の為の斥候か
「…!クロナ、急いで着替えるんだ。村の皆んなが危ない、ヴィム爺の家に行くぞ」
「あぶない!?わかった!!すぐきがえる!」
魔獣による襲撃が近いかもしれない、世話になっている村の住民が犠牲になるなど…耐え難いし、クロナも悲しむ。ならば、先手を打つまで…
クロナが急いで着替える傍ら…私は壁に立て掛けたかつての相棒…少し埃を被った大剣を手に取ろうと—————————
「おかあさん!きがえたよ!!」
「っ…そ、そうか。よし、ならヴィム爺の家に急ぐぞ」
クロナの声で、大剣に伸ばしていた手を引っ込め、私はクロナとワンを抱き上げ、家を飛び出し、雪が積もった道を掻き分けヴィム爺の家に急いだ。
…あの大剣を抜くのが怖かった。…その気持ちを心に仕舞い、忘れるために足を動かした。
◇
クロナを膝に抱えながら、ヴィム爺によって避難してきた村人たちの集会所での議論をぼんやりと聞き流す。皆んなの声は切羽詰まっており、冷たい空気の中に絶望が漂っていた。
「白刃狼がいるなんて、聞いたことがないぞ!あんな魔獣、どうやって追い払うんだ!」
「いや、追い払うどころか、こっちが全滅するかもしれない。だいたい武器もまともに揃ってないのに…」
「それならメイルから救援を呼ぶべきだ!」
「何度も言わせるな!この雪道を超えるのは無理だと言っているだろう!」
雪が降り積もる静かな村の集会所に響くのは、緊張と恐怖に満ちた声ばかりだ。
膝の上で縮こまるクロナが、不安そうに私の顔を見上げる。その視線に応えるように、私はそっと頭を撫でる。
「……おかあさん、だいじょうぶ?」
その小さな声が、胸に突き刺さる。私は何も答えられず、ただクロナを抱きしめ、頭を撫でる。ふと目線を上げると、黙って議論を聞いていたヴィム爺と視線がぶつかった。
分かっているんだろう?
この場で動けるのはお前だけだ
そう言われているように感じた私は目を逸らしてしまう。勝手な思い込みだ。ヴィム爺がそう言うことを言う人でないのはよく…分かっている。ただそれでもこの状況、私が動くのが一番だ。誰よりも早く、確実に魔獣を討つ力を持っているのは私だと分かっている。
けれど——————私は恐い
白刃狼だけなら何も恐れることはない。今すぐにでも奴らの群れごと斬り刻んでやることだってできる。
ただ、私の頭の中でかつての旅で得た知識が蘇る。裂刃狼が単独行動をしている場合、その目的は大きく二つ。一つは群れからはぐれた孤独な個体。だが、このケースは少ない。
そしてもう一つ—————それが「斥候」。
群れの主力が襲撃の準備を整えている証拠……奴ら、魔獣は種類問わず狡猾だ、人を欺くなど当たり前のようにやってくる。弱点を見つけ、弱いところから喰らい尽くす。
もしも…
言葉にせずとも、それを考えただけで全身が冷えた。クロナを狙って飛び掛かってきたあの狼…あれは確実にクロナを狙っていた。私ではなく弱点であるクロナを的確に襲ってきた。
「おかあさん……」
クロナがまた不安そうに私を見上げてきた。その小さな手をぎゅっと握り返すが、私の心は騒めきが治ることはなかった。
◇
「白刃狼なんて、俺たちがどうにかできる相手じゃない!」
「このままここにいるしかないのか……!」
村人たちの声が耳に届くが、それは私の頭の中で響く声とは別物だった。
クロナが狙われるかもしれない
もし私がいない間に何かあったら……
また、大切なものを失うかもしれない……
その「もしも」が頭から離れない。かつてサーシャを失った時の感情が、私の胸に再び押し寄せてきた。
あの時、もっと強ければ、もっと早く気付けていれば、彼女を失わずに済んだのかもしれない
何度も夢に見て、目を瞑れば脳裏に焼き付いた光景が何度も蘇ってくる。その後悔が、まるで錘のように私の身体を押さえつけてくる。力があるのに使うのが怖い。再び失うことを考えると、動く勇気が湧いてこない。
すると突然、膝の上のクロナが、突然私の手をぎゅっと握った。
「おかあさん……わたし、こわくないよ」
その言葉に私は思わずクロナの見つめる。幼いはずのクロナが、まっすぐな碧い瞳で私を見ている。
「だって、おかあさんがいるもん。おかあさん、つよいのわたししってるよ!」
その言葉に胸が熱くなった。そうだ、私はクロナの母親だ。クロナの笑顔を守れるのは、私だけだ。
「……クロナ、ありがとう」
私はその小さな手をそっと撫でた。勇気を与えられた気がする。
こんな幼い娘に発破を掛けられているようではサーシャに笑われてしまうな…
腹を決め、立ち上がると、村人たちの視線が一斉に私に集まった。議論をしていた全員が口をつぐみ、私を見つめている。
「白刃狼の件、私が対処する」
その一言に、村人たちは驚きの表情を見せたが、すぐに安堵の色が浮かぶ者もいた。なんだかんだで、私が腕の立つ人間というのは元々隠してはいなかったが広まっていた。
「……すまぬ。イーファよ…どうか頼む」
ヴィム爺が静かに頭を下げた。それを見て、私は深く息をつく。
「ただし、一つ頼みがある」
「儂らに出来ることなら」
「クロナを頼む。この子を此処で預かってほしい」
その言葉に、ヴィム爺は真剣な眼差しで頷いた。
「分かった。この老骨の命に代えても守ると誓おう」
ヴィム爺にクロナを預け、私は集会場を後にし、家に戻った。壁に立て掛けられている、埃を被ったかつての相棒…黒い大剣を見つめる。
その柄に手をかけるが、ためらいが生まれる。これを抜く資格が私に残っているのか、この剣を振るう力が私にあるのか…
「……怖いな」
思わず呟いた。剣を振るっても零れ落ちていったサーシャの命。守れなかったあの時の恐怖と後悔が胸を締め付ける。
「おかあさん!」
不意にクロナの声が聞こえた。振り返ると、大人達に付き添われたクロナが扉を開けて、笑顔で私を見ている。
「まってるから!」
無邪気な笑顔。それが私の心の迷いを断ち切った。
「……行ってくる。クロナ、いい子にして待ってるんだぞ?」
「うん!!」
クロナの言葉に背を押され大剣を手に取る。重さが手に馴染み、かつての自分が戻ってくるのを感じた。