3話 責任
「———時間は掛かるかもだが必ず」
それだけを神父に伝えると私はその子供の前で膝をつく。
そっと結界に手を当てる…
先程までは男か女か分からなかったがこの距離まで近付いたらか顔もよく見える。
どうやら女の子らしい、多分だが…
だが、性別は関係ない。さっさとこの結果を解呪して村の婦人達に合流しなければ。
そういえば、昔に似たような結界、それを使って私達を閉じ込めた連中がいたことを思い出す。難民達や傷付いた人々を狙って金銭を奪っていた屑ども。あの時は私が水を飲んでいる間にサーシャが解呪していたが…確か詠唱は
「《虚空に眠る鍵よ。虚ろの中より現れ、閉じられし扉を開け放て—————》」
またサーシャの声が聴こえる。
『イーファが私の道を切り拓いてくれるなら私はイーファを導くね!』
「(あぁ…お前はいつもそうだったな…サーシャ、借りるぞ。)」
あまり魔法は得意でなかったのだがな…誰かのお陰でその辺りの魔法使いには負けない程度には魔法も使えるようになっていたな。
『ありゃ、閉じ込められちゃった。』
『…だから忠告した。アイツら嘘ついてるから信用出来ないと何度も言ったのに信じなかったサーシャが悪い』
『うぇ〜…ごめんなさい…だからそんな眼で私を見ないで!』
『…それでどうするの?サーシャが急かしたから食糧もあんまり無い。水はあるけど…』
『うぅ…ごめんなさい。あっ、水ちょうだい!』
閉じ込められてるのにサーシャは呑気だった。いや、それは私もか…
喉を潤したサーシャは私に向き直り
『イーファ、壊せそう?』
『…余裕。あれくらいならもう5枚張られても壊せる。』
『…やっぱ私がどうにかする!イーファに任せるとこの村に被害が出そう!』
そんな失礼な事を宣うサーシャに当時は呆れたものだ。…私はそこまで脳筋じゃないし、村の被害を気にするぐらいの余裕はある。全くもって失礼な話だ。
『私がこの結界解除するからイーファはあの人達を捕まえてね!殺しは無しだよ!』
『サーシャはいつも甘い。あの手の輩は始末できる時に始末しておいた方がいい。』
そう、サーシャは人に対して甘かった。極悪人ともなれば話は別だったが、あの時みたいな閉じ込められた程度では私がケジメをつけようとしても許してくれなかった。
『甘くていいの!今私達がやるべき事は困ってる人を助けて魔獣を倒すことでしょ?私達が狙われる分には問題ナシ!私もイーファも強いんだから!』
『…無責任すぎる気もするけど』
『…オホン、兎に角!殺しは駄目、いい?』
『分かった…サーシャに従う』
『よーし!ならささっと解除して困ってる人達を助けに行こう!』
今思えばあの甘さが私は好きだった。私を暴力装置ではなく人として繋ぎ止めてくれるサーシャの優しさが嬉しかったし、好きだった。だからか、サーシャの役に立とうと魔法も覚えていったな…
『折角だからイーファも一緒に唱えようよ!』
そうだな…一緒に
お前の魔法は今でも私を助けてくれるんだな
「『《虚空開扉》』」
唱えた瞬間、子供を覆っていた結界が光に変わり空へと消えていく。
…時間が掛かるとはなんだったかな。昔を懐かしんでいたら随分と簡単に解けてしまった。
まだ眠っている女の子の無事を確認する為にそっとその幼い子供特有のモチっとした頬に指を添えてみる。
「あぅぅ…」
「ふふっ」
少し嫌がられてしまったようだが、そのあどけない声と表情に思わず微笑んでしまう。
子供は可愛いな…
「すげぇ…何人も挑戦したのに解けなかった魔法をあんな簡単に…」
「…何処かで聞いたような呪文だったような…」
…矢張り目立ってしまったようだ。あまり長居すると更なる面倒ごとに巻き込まれそうだと感じた私はその場から離れようと立ち上がる。
「——お待ち下さい、心優しき御方。どうか今暫くだけ時間を私めにお与え下さいませんか?」
そんな私に声が掛けられる。声の主は目の前に聳え立つ教会の神父。…そう言えば魔法を解いた奴に褒賞を出すとかあの男が言っていたな。だが、別に褒賞とやらに興味は無いし目立つのは避けたい。先程のは不可抗力だ、もうしない。
「連れを待たせている。魔法は解いた、後は任せる。」
簡潔にそう伝え、その場を去るため歩き出そうとすると神父が私にだけ聞こえるような声量で
「どうかお待ちを…"鏖砕"イーファ・フィネラ様。」
「…!」
「どうか、この年寄りめの話を聞いてはいただけませんか?貴女とそしてその幼子にとって重要な事なのです。」
ただの神父と思い油断してしまったようだ。まさかバレているとは…私も鈍ったな…
しかし、これでは逃げようにも逃げられない。話を聞くしかないようだ。
「先程も言ったが西門付近で連れ…依頼主達を待たせているかもしれない。時間を寄越せと言うなら依頼主達に待たせる事への謝罪と待機場所を提供してもらいたい。」
「お安い御用です。遣いを出して教会にお招きしましょう。…どうぞ、中へ、フィネラ様。」
「…あまり名を呼んでくれるな。面倒ごとは避けたい。後、私への敬称も必要無い。」
「そうはいきません。貴女様は世界をお救い下さった"英雄"なのですから。」
「やめてくれ…そう呼ばれると——————
——————死にたくなる」
そう、私は英雄などではない。
真に、"英雄"と讃えられ、謳われるべきはサーシャだ。断じて私などではない。
◇
メイルの教会に来たのは実は初めてだ。教会は祈りの場というだけでなく、病を治す治療院としての役割を持つが、私は生まれてこのかた病を患ったことがない。そこはサーシャも同じだ。
…扉を潜り中に入れば教会らしい内装に歴史を感じるステンドグラス。…ありきたりな感想しか出てこないからこれ以上は辞めておこう。
神父に案内された先には机と椅子が置いてあり神父に座るよう促される。
あの子供もいつの間に神父が大事そうに抱えている。知らない場所で捨てられてしまったのによく眠る子だ、かなり肝が太いらしい。
「どうか楽になさって下さい。今、何か飲み物をお持ちしますので…」
「必要無い。厚意はありがたいが先程も言ったようにあまり時間がないのでな、手短に頼む。」
「そうですね…」
神父は少し困ったような顔をしながら眠る子供の頭を撫でる。
「申し遅れました、私はこのメイル教会で司祭を務めております、コルネリウス・アインホルンと申します。」
「…アインホルン神父か、私は…もう知っているだろうがイーファ・フィネラだ。それで、話というのはなんだ?」
「どうぞ、コルネリウスとお呼びください」
「そうか…」
コルネリウス・アインホルン司祭、温和そうな老人だ。そして、私の知っている聖職者よりもしっかりしている。
それはそうと用件を教えてほしいのだが…
「貴女様に余計な言葉は不要なのでしょうね…」
「だから、そう言ってるのだが…」
何をそう言い淀む必要があるのか、まさか子供を助けたというのに投獄されるとかじゃあるまいし…
「—————貴女様にこの幼子を引き取ってほしいのです」
「は?」
は?引き取る?誰が、何を?私があの子を?何故?
「疑問はお有りでしょう、ただあの幼子は貴女が育てるべきだと私の直感が告げているのです」
「いや、いや…待ってくれ。何も私で無くともいいだろう、それこそ神父が引き取れば良い。孤児院を経営してると聞いたぞ、それに他人の直感で子供を引き取るというのは…」
「確かに私は孤児達を育ててはいますが、正直に申し上げれば私も限界に近いのです。最近は捨て子や孤児も増える傾向にありまして…」
平和になったから孤児が増えるというのも不思議な話だ。サーシャが聞けば怒りそうだな…
しかし、私があの子を引き取るというのは無理だ。
…親友すら守れなかった私が何故母親になれる?サーシャの想いに報いることすらせず何もしないでのうのうと生き続けている私が子供を育てれる訳がない。こんな私が親ではあの子があまりにも可哀想だ。
ましてや親に捨てられた私に親としてのあり方など分かる筈もない。
「…悪いが無理な話だ。私では…その子の人生に責任を持てない。他を、あたってくれ」
この場から去ろうとしたその瞬間、司祭の一言が背中を突き刺した。
「それはサーシャ・オルガノを失った後悔からですか?」
「っ…」
その名前が放たれた瞬間、時間が止まったような感覚に陥る。私の中で、あの光景が再び甦る。災厄の王との決戦、サーシャの最後の微笑み、私の手を振りほどいて散っていったあの瞬間。何度も夢に見て、何度も後悔し、何度も自分を責めた記憶が渦を巻いて私を飲み込んでいく。
「御二人の旅の結末については聞き及んでいます。そして、今貴女の前に立っているからこそ分かる事もあります」
「……」
「…貴女はまだサーシャ・オルガノの幻影を追いかけている」
「貴様に、何が分かる…」
「神に仕えるからこそ見えてくる事もあるのです」
神父の静かな声には私の荒れる心を…ただ、私の痛みを受け止めるような落ち着きがあった。それが余計に苛立ちを募らせる。
——10年も経ったというのに、私の心の痛みは一向に治ることはないのだ
「ならば言ってみろ。何が分かる?私がどれだけ……どれだけあの時、自分を責めたか。どれだけ毎日後悔し、償えぬ罪の重さに押し潰されそうになっているか……!」
声が震え、息が荒くなる。普段抑え込んでいる感情が、まるで堰を切ったように溢れ出してくる。
「サーシャを守れなかった私が…今更誰かを守れるとでも?親として子供を育てるだと?そんな資格が私にあると本気で思っているのか……?」
神父はしばらく私を見つめていた。まるで私の言葉が吐き尽くされるのを待っているかのように。そして、柔らかな声で言った。
「……資格があるかどうか、それを決めるのは貴女ではない」
その言葉に、思わず司祭の眼を見てしまう。き司祭の言葉を続ける司祭の瞳には揺るぎない意志があった。
「私が見てきた中で、親に捨てられた子供たちは誰も親を選ぶことなどできませんでした。それでも、彼らは愛されることを望み、愛してくれる存在を求めていました。子供たちが必要としているのは資格や条件ではありません。たった一つ、『その子の側にいてあげる』という覚悟だけなのです」
…まるでその言葉ば私の過去を見透かしたかのような鋭利な刃を持つ言葉。壁で覆った筈の私の心に壁を切り倒し、入り込んでくる。
『大丈夫、私たちずっと一緒だよ』
戦いに…行く前に、命の保障などない戦場に向かう時、決まってサーシャはその言葉を私に掛けてくれた。
「っ……覚悟、だと。」
「はい。そしてその覚悟がなければ、あの子を守ることはできないでしょう」
「……なら尚更だ。私は……私は誰かを守れるような人間じゃない。もう失うことが怖いんだ……」
吐き出すように言った言葉は、まるで自分自身への告白のようだった。失うことの恐怖、それが全ての根源だった。サーシャを失った時のあの痛みを繰り返すくらいなら、最初から背負わなければいい。その方が——————
「その恐怖を越えた先に、貴女様が見つけるものもあるでしょう。それこそが、サーシャ・オルガノ様が願ったことではありませんか?」
「……!」
その瞬間、私の脳裏にサーシャの笑顔が浮かんだ。あの時、彼女はこう言った。
『イーファ、私はどんな姿になっても貴女を導く。だから、絶対に諦めないでね。』
『イーファの幸せが私の幸せなんだから!』
サーシャの言葉は、私の背中を押すかのようだった。
「……だとしても、私はどうすればいい?こんな私に……母親なんて務まるわけがない」
弱々しい声で言った私に、神父は穏やかに微笑んで答えた。
「最初から完璧な親など存在しません。ですが、学びながら進むことはできます。そしてあの子はきっと貴女様の助けになります。必ずや…新しい道を教えてくれるでしょう」
その時、私の視線は無意識のうちに神父の腕の中にいる子供に向いていた。眠るその顔は安らかで、小さな体に宿る命の輝きが眩しいほどだった。
「……私が、この子を……?」
そっと手を伸ばし、その子の頬に触れる。小さく反応して目を開けたその子の瞳は、サーシャを思わせる碧色だった。
「おかあ、さん……?」
舌足らずな声でそう呼ばれた時、胸の奥が締め付けられるような感覚が広がった。
——————お母さん。そう呼ばれる資格などない。けれど、この子の声に込められた無垢な信頼を裏切ることができるだろうか?
…もし許されるならば……
「……まだ違う。」
小さく呟いたその言葉の裏で、何かが変わり始めているのを感じた。
・メイル教会
都市メイルの中心に存在する教会。治療院の他に孤児院も運営しており現在の司祭コルネリウス・アインホルンは心優しい人物として知られている