2話 悔恨と結界
「アルサニーア地方の葉か…珍しい物もあるのだな…」
「お目が高いねぇ、お客さん!そうとも、その葉は態々アルサニーアから取り寄せた一品さ、今なら1.2000ギースだ!お買い得だよ!」
目的の煙草の葉を取り扱っている商店を見つけた私は、手早くいつも吸っている葉を手に取ると、暇潰しも兼ねて店内を物色する。
アルサニーア地方の葉はアルサニーア特産のバニラの葉を使った甘い香りが特徴の煙草で、女性貴族に人気だと私がいつも世話になっている交易商人が言っていた。
私も一度吸ってみたが、どうにもその甘い香りが肌に合わず未だ戸棚の奥に眠っている。
『あの地方のって美味しくないって言われてたのにね』
「っ」
…またサーシャの声が響く。フードの上から頭を抑えたイーファはその声が"今"聞こえたものなのか"過去"の会話の中の言葉を偶々思い出したのかを考える。だが、思い出すことはできなかった。…思い出そうとしたところでこれは全て情け無い私の弱さに起因する幻聴なのだがな…
「——い!お客さーん?聞こえてるかい?」
「…あぁ、済まない。…珍しくはあるが遠慮しておく。私にはこれがお似合いだしな…」
手に取ったアルサニーアの葉が入った箱を元の棚に戻し、いつも吸っている葉が入っている箱を商人に見せ、そのまま差し出し、代金を机に置く。
「そりゃ、残念。これだね。
————あい、代金ちょうどね、毎度ありー!」
目的を果たし、持ってきた革袋に葉の箱を押し込み、休憩のため適当なベンチに座る。
一服と言いたいところだが、そこまで中毒者じゃない。
その代わりに足を組んで、眼だけを動かし辺りを見渡す。
街を行き交う人の表情は明るく街も陽気な空気に満たされている。この街は平和そのもの、魔獣に怯える必要もなくただあるべき人の営みが滞りなく続いている。その当たり前の光景に私は幸せを感じる。
…だが、共にこの平和を勝ち取った友は居ない。その事実が私に重くのしかかる。
「(サーシャ、お前が生きていたらなんと言ったかな…きっと誰よりもこの平和を満喫できていたのだろうな…)」
私などより…皆から愛された本当の英雄…幸せを得るべき友が居ない、サーシャを守れなかったこの虚無と罪悪感が…決して癒えることはない。
「(済まない…)」
心の中で今までと同じように何度も謝罪する。届く筈のない無意味な後悔、目を閉じて街の喧騒に身を委ねる。…このまま、この喧騒の中に砂のように散る事ができたら…どれほど楽だろうか…
『イーファ、教会に行ってみて』
また、声が聞こえる。その声に思わず眉を顰めてしまう。フードを被り直して俯く。
『イーファ』
「何故なんだ、なんで今日はこんなにお前の声が聞こえるんだ…」
思わずそう溢してしまった自分に驚き閉じていた目を開き、教会に続く道を見てしまう。
何やら騒がしい。いや、教会の前には確かに人混みが出来ている。炊き出しにしては遅すぎる。そう感じ首を傾げる。
「…」
ため息を吐き、ベンチから立ち上がる。騒ぎがここ迄伝播してきたのか周囲の人も皆、教会に向かっている。
…そんな風な騒ぎを他所に、私は教会とは逆方向に歩き出す。騒がしいのは苦手だし、何が起こっていようと興味もない。
まだ、集合時間には余裕がありそうだが、先に戻り馬車で待っていることにする。
…待つことには慣れている、適当に果実の一つでも買って煙管を吸っていれば時間などあっという間に過ぎ去る。
そうして、歩き出そうとした瞬間…
「っ……」
懐かしさを感じる風が私を通り抜けていった。風が吹いた方向は私の進行方向とは真逆…
風の流れゆく方向へ振り返る。当然、その先にあるのは人混みが出来ている教会。
さらに先程よりも強く風が吹き、私の背を押してくる。まるで風に意思が宿ったかのように。
「…少しだけだ」
諦めた私はそうポツリと呟き、風が流れる方向…教会へと向きを変え歩き出す。
途中、人混みに加わろうと走る男性を捕まえて騒動の原因を探ることを忘れず。
「すまない、教会で何かあったのか?」
「おぉ、びっくりした。なんだ、アンタ知らないのか?教会の前に子供が捨てられているんだとよ。」
「…捨て子か、教会ならよくあることだろう。」
「それがな、なんでもその子供は魔法の壁に覆われてるらしいんだよ!神父様でも解除出来ないらしくて遂にはこうして騒ぎになってるって訳だ!」
「魔法の壁…?」
"結界に覆われた捨て子"。騒ぎの原因を知ることは出来たが不思議な話だ。態々捨てる子供を守る為に魔法を使うのかと。魔法を使ってでも守りたいのに捨てるなど…
そこまで考えて思い直す。
親というのは身勝手なものだったと。私とて親に捨てられ孤児院に引き取られた身だ、親の矛盾した身勝手さには覚えがある。
「そうか、引き止めて済まない。教えてもらい感謝する」
「おう!姉ちゃん身なり的に旅人か?教会が魔法を解いた奴に褒賞出すらしいから気分が乗ったら挑戦してみたらいいぜ!じゃあな!」
「(そこまでするのか。いや、確か今のメイル教会の神父は子供好きという話もあったな…)」
褒賞に興味はないが教会の神父が手こずる程の魔法とやらには興味が湧いた。野次馬根性で私はメイル教会に向け再び歩き出す。
———確かに教会の敷地内には多くの人が集まっている。百人は優に超えてるだろう。中には魔法使いのような格好をした者も混じっている。恐らく先程の男性から聞いた教会の褒賞目当てなのだろうが魔法を解除出来ず悔しそうに顔を歪めている。
今も冒険者かただの魔法使いかは知らないがこれぞ、魔女といった出立ちの女が魔法を解除しようとしているようだ。
「すまない、通してくれ。…すまない。」
人混みを掻き分けてなんとかその子供がいるであろう場所を視界に収める。
私の目に飛び込んで来たのは大きめの子供を寝かせるであろう籠に入れられて眠っている子供だった。見える体の部位的に6歳ぐらいだろうか?
ここからでは顔を判別できないので男か女かは判断できない。
そしてその子供の周りを覆う魔法壁、今も解除しようと挑戦しているあの魔女もいるが一目見て無理だと理解する。
「(結界に対して解呪文が下級すぎる、あれでは何年掛けても破れない)」
「ダメね……」
そう零した魔女が諦めたのか立ち上がり、群衆の中に戻っていく。
よく見るとその光景を見守っていた神父であろう人物が深く肩を落としている。
「また駄目かぁ〜、これで何人目だ?」
「8人目だな、これ無理なんじゃないか?あの嬢ちゃんで無理なら誰も解けないだろ…」
「けどあんなに小さい子、いつどうなるか分からないぞ?」
「そりゃあそうだけどよ——————」
群衆の会話を耳にしながら悩む。
私ならアレを解呪できる。ただ褒賞とやらは必要ないし目立つのも避けたい。
そもそも、他に解呪できる奴がいるなら、それに越したことはないが……動くなら人が減るのを待って解呪しよう。
わざわざ目立つ必要は—————
『またイーファに助けられたね!』
昔に…旅していた頃に何度も聞いたサーシャの声。それと同時にいつの間にか…私は群衆の先頭より一歩前に出ていた。
「——は?」
神父と目が合い、群衆の視線が背後から私を貫いてくる。
何故、私は一歩進んだ?疑問が頭を埋め尽くす。目立つ真似は避けようと決めたばかりではないか。
神父と目が合う。「次はお前か」という眼だ。違う…確かに解呪はするつもりだったが今じゃない。何故、今なんだ、なんで私の足は動いてしまったんだ
何故…そればかりが私の頭を支配する
「…次は貴方様が解呪に挑戦して下さるのですか?であるならばどうかお願いします。」
神父の声で我に帰る。
周りで事を見守る群衆の視線が背中に突き刺さる。…変に期待しないでほしいものだ。私の本業は剣士で魔法使いじゃない。オマケにもう10年はまともに剣すら振っていない。…解呪はできるだろうが、私でなくサーシャなら息をするように解呪できただろう。サーシャの真似事しか出来ない私では少し時間が掛かってしまうかもしれない。
…だからこの場ではやりたくなかった…言うことを聞かない自分の体が憎たらしい。
少しでも視線を紛らわすために再度、フードを深く被り直す。
「…あぁ、時間は掛かるかもだが必ず。」
それだけを神父に伝えると私はその子供の前で膝をつく。
そっと結界に手を当てる…